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【関西中国】「第16回町並みと民家を訪ねる会」

2013-04-07 | 関西中国地域ブロック
4月7日(日)に奈良県大和郡山市で行われた
「第16回町並みと民家を訪ねる会」の報告です。


8名の参加がありました。


関西中国地域ブロック事務局より


春の嵐に吹かれた、櫻の花びらが舞う道を今回は大和郡山に訪ねました。
「稗田の環濠集落」と城下町として栄えた「郡山の町並み」です。
大和郡山は、古くは平城京の九条通りの南にあり、薬草園としての集落、
また「稗田」は古事記の語り部、伝承者として稗田阿礼の出身地として
伝えられています。

中世の後期、筒井順慶の居城として郡山城が造られ、続いて豊臣秀次が
城下町を造り、江戸期には柳沢家などの諸大名が大和の地を
治めたところで、明治に入るまでは政治・商業の町として栄えました。

郡山といえば金魚の街として有名ですが、あちこちに点在する古民家や
町家の風情は豪華なもので、また新しく様相替えした町並みは、
予想以上に美しくなっていました。

稗田環濠は大和に多くあった集落の中で、ほぼ完全な形で残されている
ことが奇跡のようなところです。周りに水をたたえた景観がなんとも
言えない風情をかもしています。水掘りに囲まれた、小さな邑で、
北東側は七曲りよばれる特異な形をしており、T字形や、袋小路に
なっていて防御に適した構造になっています。260m程の御札のような形を
した集落が、現在まで形を残して続いていることの不思議さを感じさせて
くれます。

集落の南側に、古事記の語り部の「稗田阿連」を祀る「賣太(メタ)神社」
があり、ここで、天武朝から続く古事記や阿礼のお話、またこの社での
伝統儀礼などを、丁寧にきかせて戴きました。

城下町として、箱本十三町と呼ばれる町々が古から自治組織を造り、
町や店を守り、商業を中心として栄えたことが、細く狭い路地や
入り組んだ町家の佇まいを見るとよく解ります。

細長い町筋を柳町といい2丁目から4丁目まで、南に下ると南邸・和田徳・
花内屋などの古民家が残っています。そこを東北に上がると、洞泉寺町に
入りますが、元花街のあったところで、豪華な遊郭楼閣やお寺が並んでおり、
これはほかでは見ることができない建家群です。

城下にはたくさんの寺社が目白押しですが、特に日本三大稲荷の
源九郎稲荷は場所柄、芝居芸能が盛んであったことを忍ばせてくれます。






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