震災から13年、やはり目に見えるものがないとどんどん記憶が薄れていくものです。震災の思い起こしも含めて、陸前高田に行く機会が出来たのでほぼ10年ぶりくらいにやってきました。まずは、45号線沿い「奇跡の一本松」が目に入ります。
すぐ後ろにあるのが、震災遺構「陸前高田ユースホステル」、さらにその奥には、第二線堤(防潮堤)があります。海に近いところには、高さ3mの第一線堤があり、2重の防潮堤で守られています。
陸前高田市には、45号線沿いに①奇跡の一本松、②陸前高田ユースホステル③気仙中学校④タピック45(旧道の駅)⑤下宿定住促進住宅が震災遺構として残されていて、国道を走ると必ず目に入ります。ここが大事ですね。
海と川と沼がつながる汽水域ですので、鴨が集団で一生懸命草地で餌を探しています。
第二線堤は、高さ12.5mで約2kmで設置されています。見ようによっては、要塞で囲まれているようにも思えます。
高田松原津波復興記念公園内には、東日本大震災津波伝承館「いわてTSUNAMIメモリアル」が設置されています。
館内には、気仙大橋の残骸と消防車が展示、コーナーごとに様々な映像をみることができます。
被災三県の追悼・記念施設の案内です。
「命を守り、海と大地と共に生きる」、復興への決意ですね、思い起こしと共に、新たに胸に刻むことばです。
建物の右手には、休憩場所そしてお土産やランチに便利な「道の駅高田松原」があります。
もうひとつ気になっていたのが、仙台藩との関係です。旧気仙郡24ヶ村は、海沿いでいうと、ここ陸前高田、大船渡、そして釜石南端の唐丹(とうに)付近まで仙台藩の所領でした。なにかその痕跡でもあればと思い、「陸前高田市立博物館」にやってきました。
当然、震災であらゆるもの流失されている中、伊達藩直轄地であったこの地域の大肝入吉田家には、伊達政宗よりの刻印状が残されていました。
気仙郡24か村の絵図ですが、陸前高田には、代官所も置かれていたようで、近くに金山があったためと言われています。
各集落に残されていた津波の歴史とともに、教訓を伝えるコーナーもあります。
博物館を後にし、高田市内のマップを見ると「箱根山」という市民の森があるのでここもチェックです。
頂上付近に、このような展望台があります。
広田湾を一望できます。4月28日には、花火大会がありますが、市内は予約で一杯ですね。
カフェだけ再開した「箱根山テラス」も残念ながらこの日は定休日でした。天気も悪くなる一方で、「気仙大工左官伝承館」も次回訪れることにしました。
今日の宿は、陸前高田では、歴史ある「ホテル三陽」です。こちらのホテルで、陸前高田で桜の植樹活動に参加するため、東京からやってきた9人のボランティアのみなさんといっしょになりました。頭が下がります。
実は、シニアにとって有難い宿泊代3000円引+買い物1000円券がセットされた”高田割”を使って宿泊です、さらにいろいろ特典がある高田パスポートをいただき、有効に活用しました。
「ホテル三陽」での旅ブログは こちらです
”高田割”のHPは こちらです