ごはんをきれいに食べたとき、あやひながおちゃわんを見せに来るのを見て真似するようになったゆき。
ニヤニヤのドヤ顔で後ろ手にやってくる。
昨日もいつものようにやって来て
凍りつく表情というのを目の当たりにしたおふくろ食堂一昨日のおしながき
・しめじとブロッコリーのミートソースパスタ
・明太子ソースとマヨかけて焼いた食パン
と昨日のおしながき
・昆布としいたけの炊きこみごはん
・わかめと白菜の味噌汁
・豚こま竜田ボール
・たこと大根の炊いたん
・焼鮭
・納豆
ホームセンターで見かけて「あーんぱーん!!」と一目で好きになって買って使っていたお気に入りのアンパンマン茶碗。
しょうがないしょうがない、手が滑ったんやね。思ったより勢いがあったね。
お手数ですがよろしければ
大丈夫大丈夫、また買いに行こ。
ひな、4歳の誕生日。
幼稚園のあと公園に行ったら、「今日ひなちゃん誕生日だって?」とお友達のお母さん2人に言われて
そうそう!あれ?誰かから聞いた?と聞いたらそれぞれ娘さんから「きょうひなちゃんおたんじょうびやって!」
「ママちゃんとおめでとうっていったの!?」と詰められたそうで、どうやらあやが園で触れ回ったらしい。うん、ありがとう。
プレゼントは特に決めてなかったので、おもちゃ屋さんでひなが好きなの選んだらいいよーと
公園帰りに行ったものの一向に定まらずお試し用のおもちゃ(まだちょっと対象年齢が高いだろうというような)でばかり遊んでいるひなに、
「あっ!ひな!じゃああやがえらんであげよっか!?」「これ!これがいいよ!これ!」「あっやっぱこっちにする!?」
と完全に「自分が遊びたいもの」を推してくるあや。
からのシルバニアデビュー。
(他に最近大好きなキャラクターものがあるのだが、それは自分のクリスマス用にとっておくらしい)
あしたもあそぶけんおいとってよ、と言われてふと見るとパティスリー内で全員が床に転がされており、何らかの事件性をにおわせていた。
小さな小さな体でうまれてきてくれて早4年。
相変わらずちびっこだけどパワフル。最近はちょっと注意すると一瞬でふくれてすねてプライドの高さを垣間見せてくる。おおこわ。
誕生日のお約束で前の晩に風船をリビングの天井からつり下げたり壁におめでとうの切り文字をつけたりしておくと、
朝「わあ~~~~!!(ハート)」と嬉しそうに起きてきたときの顔をおかあさんは忘れませんよ。
元気で毎日笑っていてくれてありがとう。これからもすくすく大きくなってね、ひな。
お手数ですがよろしければ
ばたばたとケーキ屋さんを3軒まわってかろうじて見つけたホールケーキがガトーショコラだったのでなんともシックな雰囲気に。
せめてそれぞれ好きな色のマカロンを飾っていただく。
ごめん、今度からはフルーツどーん、クリームふわーんのケーキをちゃんと予約しとくけんね。
先週末、祖父が他界しました。
戒名に「寿」の文字を入れてもらったくらいの大往生だったから、葬儀に来てくれた方も口々に
「きれいな顔しとるねえ」「変わらん人じゃねえ」と声をかけてくださった。
1歳から5歳までの5人の曾孫たちも皆で見送ることができた。
父の挨拶の中で、「(祖父が)10年くらい前に、煙草を吸いながら『わしは120まで生きるんじゃ』と言っていた」
という話があって、そう!そんなこと言よった!と私も元気な頃のじいちゃんを一気に思い出した。
そんなに生きて何をするのか、と父が問うとじいちゃんはニヤリと笑っただけで答えなかった。
そしてそれにはあと20年ちょっとというところで、結局その答えは教えてくれなかった。
そんなことはよくあって、聞いた方が「何それ!?」みたいな反応をするとただ無言でニヤリといたずらっぽく笑っていた。
私が小学生の頃、家に遊びに来ていた友達と居間で話していたら無言で入ってきて
通りすがりにおならをして(音ありの確信犯)無言で出て行った。その事はしばらく語り種になった。
晩ごはんの時、ばあちゃんに「お前の作った味噌汁は不味い」と言ってマジギレしたばあちゃんに
「ならお食べな(食べるな)や!!!」と怒られて黙ってしまった。そりゃそうだ。
テレビとお酒と巨人が好きで、そのチームが負けた時には「だーくそー!!」とテレビを叩きつけるように消して
寝室へ入っていた。
靴は「わしはこれがええんじゃ」とコンバースのスニーカーを愛用していて、
90になった頃でもおめかししてJRで高島屋の初売りに出かけて行くようなおしゃれさんだった。
戦争も経験している人だったから、私が中学生の頃はよく地図を出してきて話をしてくれた。
デイサービスに通っていた頃の写真を見ると変顔で写っているのが何枚もあって、
そうそう、家でもいっつもこんな顔しよったなあとお調子者の一面を思い出す。
認知症のばあちゃんを、連れて帰ってわしが面倒みる!と何度も言っていた。2人で旅に出る、と言っていたことも。
勿論いい時ばかりじゃなくて、父や祖母との怒鳴りあいのケンカはしょっちゅうだったし
困るなあ、ということもよくあったと思う。でももうそんなのは何でもないことになった。
元気で派手な親父でした、と父が言っていた。うん、ほんとに元気な人だったなあ。
そして孫の私にできることといえば、じいちゃんのことを思い出したりお墓まいりをしたり、
毎日ごはんを作って子供に食べさせて家族で恙無く暮らすことくらい。
楽しい思い出をたくさんもらって、私はじいちゃんの孫でよかったよ。ありがとう。
施設ではよくチャンネル争いをしていたらしいじいちゃん。これからは、見たいテレビをゆっくり見てね。