最終日
朝からしっかり食事を取り、工場と関連のあるいくつかの施設を視察しながら仕事をこなしていった。
今回はケミカルとコスメティックの関連分野である。
すでにケミカルは商品化の手前までできており、それに付随するパーツをつくるのが目的。
これもすべてが手仕事なので、かなりの人数が必要になる。
ちなみに今回視察した工場は工員数約1000人。
2軒目はそれ以上だったので、なんとかなるかと少々安心したが、
日本から持っていった設計図を見て、オーナーは眉間にしわを寄せた。
◯◯と◯◯の処理に問題が・・・・・
専門家のH氏がルーペを取り出して意見を述べる。
◯%△#⬜︎?>・・・・
途中、韓国語、英語、ジャワ語が入り混じり、何を言ってるのかチンプンカンプン
せめて英語だけでもマスターするべきだったと深く反省し
帰国後すぐにスピードラーニングを
ま、いいか。
ところで今回お世話になったインドネシア工場のJ社長
我々が到着する前日に高熱を出して入院しなければならい体だった。
後からわかったことだが、滞在中無理をして同行してくれたが帰国当日
プルウォケルトの病院からジョグジャカルタの病院に搬送されて入院したと聞き、
申し訳なさでいっぱいだった。
滞在中、すべて同行してもらった。
また宿泊や食事の面倒までみてもらった。
工場の昼食は社長自ら焼肉を焼いてもらい、手厚い接待を受けた。
そればかりではない。体調不良で見送りは出来ないと、
1日がかりで従業員に飛行場まで案内させた。
工場内での昼食
夜の食事と接待
名物のサテ
タクシーで移動
プルウォケルトからジョグジャカルタまで鉄道で移動
あとはジャカルタまで飛行機で移動したが、これが思わぬことになった。
いやぁ、大変だった。
それはまた今度の話としよう。