25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

何か変だ

2019年12月17日 | 社会・経済・政治
 日本が経済成長ができず、他の先進国に遅れをとり、どうにもならない状態であることはみな感じとっていることだろう。
 株価は日銀による買いささえでもっている。そんななかで馬鹿馬鹿しいにもほどがある話題のニュースをテレビは紹介していた。それはコンビニなどでスマホをとりださなくても、かばんやポケットにあるスマホを感知して決済するのだそうな。馬鹿馬鹿しいにもほどがある、現金を払うかスマホを取り出せばいいではないか。
 こんなことに面倒がる意識を想定するNTTドコモがよくわからない。いずれ店に入り、商品を籠に入れるだけで、決済されていく未来への途上の技術なのだろうが、要らない。
 こんなことに資本を使うなら、携帯代金を安くしてほしい。
 なにか変だ。










ブログのことなど

2019年12月16日 | 文学 思想
 田山花袋の「一兵卒」が今日の「よもやま会」での事前に読んでおく小説だったので、ぼくはスマホのアプリ「青空文庫」で読んだ。はて、感想というべきことを述べよと言われれば、「なんと下手な文であるか。明治時代ではこれくらいでも教科書に私小説の作家として田山花袋は出てくる。なんだこれは」という感じだ。
 今日はこの本を読んでよもやま話をするので、まずはこの本を選んだ人になぜ選んだのかは聞いてみたい。そしてもちろん他の人の感想も。

 戦後高度経済成長が始まってきた頃から貸本漫画、月刊誌漫画、週刊誌漫画と興隆し、現在の単行本漫画、アニメ、テレビドラマや映画の原作にまで進展している。サブカルチャアとしてとらえられていたものが純文学だの大衆文学だのもなぎ倒しているような感がある。この前NHKのドラマで「落語心中」を岡田将生が演じていたが、あのドラマは相当よくできていて、原作は漫画であった。漫画家もよく調べている。ストーリーの展開も見事である。
 明治の頃はサブカルチャアと呼べるものは落語くらいしかなかったのかもしれない。芸術創作活動は美術であり、音楽であり、俳句や短歌、小説であった。演劇も加えていいのかもしれない。小説も言文一致運動があり、ようやく人々が読めるものになった。この面では田山花袋の貢献もあるのだろう。
 今やサブカルチャアという言葉は死語である。メインカルチャアとなっている。音楽、美術、映像、演劇、ミュージカル、エンターテイメント小説・・・。
 そして文を書いて見せる、動画・写真映像を見せる、イラストを描いて見せるツールが広がって、多くの人がブログで文を書き、撮った写真や動画を見せる。子供へのアンケートでは将来つきたい職業の1位が「You Tuber」である。

 人間が考えることのほとんどのことは古代までにやってしまっている。人間は科学の先の先を進めていくだろうが、それは知識であって、おおよそ普通の生活で起こってくることで考えることはもう古代に言い尽くされている。聖書あり、論語あり、経典ありである。もちろん親鸞、ルソー、モンテスキュー、ヘーゲル、マルクス、エンゲルス、カント、ニーチェ、ハイデッガー、サルトル、小林秀雄、吉本隆明、と言っていくこともできるが、おおよそのことは言い尽くされている。ぼくらは過去の人が考えたことを参考にして思考していくだけで、それが人間の歴史の積み重ねということなのだろう。

 ブログの登場でなんと人は「自己表出」をしたいものかと驚く。「ひとりごと」さんのブログを読むと、ガンガン勢いが増していってどれだけ読んでも終わらない、けど書く、という熱情である。

 みんな田山花袋よりは文はうまくなっていると言いたかったのだが、何かもうひとつ言えてないなあ。
 ブログはこれで終わってもいいのである。自分が編集長なのだから。

バドミントン

2019年12月15日 | スポーツ
 どのようなトレーニングをしているのか。日本のバドミントン桃田賢斗とインドネシアのギンティンとのシングルス決勝戦を観ていて、二人とも体が大きく崩されることがない。足は小刻みに動いている。重心が崩れないから余分なふらつきがないのだと思う。無駄な動きがない。やはりインナーマッスルが発達しているのだろう。
 運動神経的な才がある上で、必要な筋肉の鍛練努力、試合のかけひきの思考力を兼ね備えているのだろう。両者ともジャンプ力、背骨のバネが素晴らしい。
 インドネシアのバリ島では普段人々はゆっくりと歩く。どんな風にしたら、胸を張り、それほどゆっくりと歩けるのか、ぼくは驚いたことがある。日本での都会なら日本人は3倍くらいの速さで歩く。バリの人がキビキビと走ったり、体を動かすのを見たことがない。だからバドミントンでギンティンの動きを見ていると、目を見張ってしまう。
 インドネシア人の歩き方は素晴らしい。女性も頭の上に供え物を乗せて歩いている。小さい頃から村で踊りの練習をする。ほぼ重心移動の練習である。
 だから女性がマッサージをしても重心使い方ができるので、力の伝え方がうまく、強い力を届けられる。
 桃田とギンティンの勝負は大接戦である、ふたりとも反応力が速い。フットワークがよい。
 日本のバドミントンはインドネシアに追いつき、世界のトップクラスである。韓国から監督を招聘して以降強くなった。バドミントンをし始めた小学生や中学生が多くなったという。さもありなん。

at home,dad を見た

2019年12月14日 | テレビ
 テレビドラマ「まだ結婚できない男」が終わった。またもや結論が曖昧なままだった。十年以上前に前編「結婚できない男」があった。阿部寛演じる主人公はクラシック音楽を聴くのが趣味で高価そうなオーディオを持っている。部屋内で指揮棒まで振る始末である。彼は建築士であり、建築デザイナーである。その腕は確かで、自分の建築事務所をもっている。撫で肩、猫背でトボトボ歩く。ところが女性と会えば、皮肉を言い、回りのものは怒ったり、冷や冷やしたりする。全くのコメディーである。
 2002年に出たDVDに「at home,dad」というやはりコメディーホームドラマを見つけた。「結婚できない男」と脚本も音楽も、画面の色合いも同じである。きっとこのドラマが当たり、阿部寛をどうやって演出するか、このドラマ制作チームは掴んだのだと思う。

 「at home,dad」では「雨上がり決死隊」の宮迫博之がとっても重要な役で出ていた。彼は主夫をやっている。彼の妻(中島知子)はイベント会社を起業し、働いている。その二人が住む家の隣に阿部寛演じるCMディレクター家族がローンで家を買って引っ越してくる。するとまもなく、彼は子会社に移籍させられ、その子会社が勤務する前に倒産することになり、彼はリストラされるのである。で、妻(篠原涼子)が仕事に出ることになり、彼は就職先を探しながら主夫をするのである。彼は主夫を小馬鹿にしている。男は外に出て仕事をし、女は家事、育児をづつmkのだと考えている。主夫の生活が始まった。お隣さんがいないと上手く主夫ができない。ゴミだし、娘を幼稚園に連れていくこと、掃除、洗濯、買い物、料理、することがいっぱいあり、その仕事にも効率よく節約しながら、ご近所さんともうまく付き合いしていく方法を宮迫博之から学んでいくのである。
 洗濯物の干し方も、買い物の仕方も、観ているぼくもいちいち「なるほど」と唸ってしまう。可笑しくて、面白くて、すっかりはまってしまった。

 宮迫博之はたいした役者だと思った。主夫で甘んじている自分は時々忸怩たる思いをするときがある。そういう演技も上手かった。
 いつのまにか日本は女性も外に出て働いて生活レベルの維持をしなければならない社会になった。この主人公家族が現実にいたとしたら、まだ家のローンを払っているはずだ。

 このドラマの時から18年。空き家が増えに増え、不動産価値は下がり、実質賃金が上らないという状態が今もなお続いている。篠原涼子は大きく歳の違う人を夫にし、中島知子はその行動が週刊誌などに騒がれ、もうテレビに出なくなった。宮迫博之は過去に吉本興業に黙って反社会的な者達のパーティーに出席したことが騒がれて、現在謹慎中である。阿部寛は「柘榴坂の仇討ち」で中井貴一とともに渋い暗殺者を演じた。人の人生はいろいろだ。宮迫博之には早く復帰し、またドラマなどで活躍してもらいたい。もう、「雨上がり決死隊」はいいと思う。役者一本でいくのに、よいチャンスかもしれない。
 

共同幻想のこと

2019年12月13日 | 文学 思想
 ぼくが尊敬してやまない吉本隆明は「戦後思想の巨人」と呼ばれていた。借り物ではない「自前の思想」だとよく言っていた。大学生の頃から彼の著作を読み始めて、ずっと書物が刊行されるたびに楽しみに読んだ。ぼくが学生の頃、「試行」という雑誌を発行していたので、それも読んでいた。その雑誌の中で岡山の永瀬清子という詩人を知った。このブログのタイトルは永瀬さんの詩から取った。
 吉本隆明は死ぬ直前まで発言をした。伊豆の海でおそらく急に体が冷えたのだろう、水泳中に溺れた。救助され一命はとりとめ、また仕事に復帰した。テレビ番組「進め!電波少年」で突撃取材を受け、タライに顔を突っ込んで溺れる真似をしたとか、週刊誌で読んだことがあるが、ぼくはその番組を見ていなかった。そんなこともありながら、徐々に吉本隆明の身体は故障が多くなってきた。文体も変わってきた。十四歳の子供にもわかるような文をこころがけるようになったと思う。若いころの吉本隆明の文は難解だった。

 今、振り返って彼が書いた著作からぼくが日々考えるうえで典拠としているものは「共同幻想論」と「言語にとって美とは何か」である。特に「共同幻想論」は個人幻想、対幻想、共同幻想という観念の領域を「古事記」と「遠野物語」から考察していったのだった。共同幻想と個人幻想は相反してしまう。例えばバスケットボールのクラブに入っていて、土曜日も日曜日も練習があるとする。すると個人としては優勝するためにやろう、と自分に言い聞かせて土・日の練習に取り組む。別の者は日曜日に見たいものがあるから休んでしまえ、と考え、休んでしまう。共同幻想は「クラブ活動での優勝」である。個人幻想は個人の自由な幻想である。
 この個人幻想を重視して休む生徒が共同幻想を重視して休まないとなれば、そしてそれがクラブ員全員がそうなれば、共同幻想と個人幻想が重なり、クラブは強くなる。

 このことを国家に置き換えてみると、国家は共同幻想である。しかも権力という幻想を持ち、そこには実力部隊である警察がいる。ひとつ例に出す。尖閣列島を中国が取りに来たらどうするか。威勢のいい人は共同幻想と個人幻想を重ねて全面に出して、中国のを蹴散らせ、となる。尖閣なんて中国にあげたってどうってことないよ、と思っている人がいたとする。そういう意見をテレビ局は取り上げてはくれないだろう。テレビ局は大事件のように扱う。つまり国が侵略されたかのように報道することだろう。テレビは魔物なのである。今日幻想にも引っ張るときは引っ張る。個人幻想の題材も提供する。

 国家という強い共同幻想は幾分力を弱めていると思うが、島国である日本はユーラシア大陸ほどに、アメリカ大陸ほどに人種、民族の融合が多いとは思えない。するとまた「ナショナリズム」の強風が吹いてくるということになる。威勢のよい派は国家存亡の危機だと煽るだろう。きれいごと派はとにかく話し合いだ、と主張するだろう。共同幻想には風通しのよい穴を二つほど開けておけばよい。領土については歴史の時間をどこまで過去にもどすかで解釈が変わる。中国側は中国の都合に合わせて中国のもの、日本側は日本のものだったのだから日本のものと主張するだろう。
 この強力な共同幻想(自衛隊員の個人幻想の犠牲やこんなことで戦争するのは馬鹿らしいと各人が思う個人幻想を犠牲にしてまでの共同幻想という意味で)に対して「共同統治」という共同幻想でやりあっていくしかないことになる。

 天皇の継承のことでも、共同幻想と個人幻想が相反することも多々あるかもしれないのに、一致して重なってしまうとひどいことが起こる。これは戦前に日本列島人が経験したはずだ。
 この問題は解かれねばならない。意識にも上らなければならない。教室でも論議されなければならない。

 吉本隆明は人間のもつ共同幻想の成り立ちを考察することから次の世代にさらに深い論議を示唆したに違いない。2012年3月16日逝去。

植物らの強さよ

2019年12月12日 | 日記
 このところ穏やかで寒くもない晴天の日が続いている。池の取水装置がこの夏の台風で壊れてしまった。3者で取水していたのが、ウチだけになったので、修理の大工事はしないことにした。その代わりに大きな鉢植えを池のゾーンごとに置くことにした。

 谷からの水が流れ落ちる音はなくなった。来年はカエルも住処がなくなる。イモリもどうするのだろう。橋の右側のゾーンには水の代わりにこの時期のシクラメンを、左側のゾーンには鮮やかな黄色のパンジーを大きな鉢に植えた。草花はなく樹木の花が季節ごとに咲いていたが、この12月は山茶花や欅の赤色の葉くらいのものであったが、シクラメンの白や紫や赤の色とパンジーの黄色が目に映り、庭にリボンがついたみたいに目を惹くようになった。

 バリ島でこしらえたクッションカバーがあったので新しいものに替えることにでぃた。居間は少し華やかになった。

 山桃の木とこぶしの木が電線よりも高くなってしまっている。中部電力に報告しておこう。梅の木も枝を伸ばし過ぎている。桜もこぶしほどの高さになっているがその場所は電線に架かることはない。剪定をしたいと思うが、馬力が出てこない。脚立を車に積まなければならない。面倒だと思ってしまう。毎日小刻みにちょっとずつすればいいことはわかっている。

 四月までは草刈りをしなくてもいいだろう。とにかく脚立を運ぶだけ運んでおくか。客の合間を見てちょっとずつ切るか。何もしなかったらすぐに植物に家が
埋まってしまう。植物らの強さよ。あきれるほど強い。
 住処の方の庭に藤棚を、と思って藤を本植えたら
それが伸びて伸びて、あっちこっちに伸びてすごいので、糸で括って伸びる方向性を一応決めておいた。言うことをきくのかどうかわからないが、そうでもしないと隣の空き地に生える雑木にまで絡もうとする。たいへんな勢いだ。若いのだ。あと1年半もすれば藤棚になるのではないか、とひそかに楽しみにしている。
 日本の樹木の花は儚い。咲いてすぐに散ってしまう。

 娘婿殿が正月休みに前の浜で魚を釣りたいということなので、竿とリール、それに仕掛けを用意しておかないと。細君は「初心者用でいいんだからね。タイはいいから、ガシやハタでいいんだからね」と言う。
ムムム、チダイでも狙おうと思っていた。


言語の縦糸、横糸、編み目

2019年12月11日 | 文学 思想
昨日「木枯らしの手帖 ~ 一足早い遺言」 というブログを、真夜中の徒然に読んで、感じ入ってしまった。まず、視線があわただしくないこと、静かであること、目に映る範囲でしか書いていないこと、写真が上手であること、と考えていくうちに、言語というのは、沈黙も言葉なんだと、あるいは、行間も、字と字の間も沈黙の言葉なんだと実感的に思う。この筆者の文体は無意識にか沈黙感の多いものになっていて、読む側に「立ち止まり感と見つめる感」を与える。癒されると言ってもよい。
 この方は草木にも詳しいようだ。

 言語が芸術として成り立つのは、指示表出言語と自己表出言語が縦糸と横糸に織られた上で、ぼくが付け加えるならば沈黙の言語も同時に編み目のように作られているからだ。

 「今日は12月11日です」この言葉は一般に受け止め、特殊な事情がない限り、そのまま日付を表すだけのことである。ところが「3月11日です」というとニュアンスがかわり、日付に東日本大震災の様相が重なってくる。桑田佳祐のTSUNAMI」はあの震災の津波ではなく、侘しい想い、逆に言えば激しい想いを意味する比喩としての言葉であり、自己表出言語である。桑田佳祐が今この歌を封印しているのも、TSUNMAIという言葉が生々しく強烈過ぎるからだろう。逆に津波に襲われてないという状態で歌うのならば明確に侘しい想いの比喩歌として大成功していたのである。
 見つめ合うと素直にお喋りできない
 津波のような侘しさに
 I know 怯えてる hoo
めぐり逢えた瞬間から魔法が
 鏡のような夢の中で
 思い出はいつの日も雨
  (桑田佳祐「TSUNAMI より」

この歌は若い日々に自分を置いた作り話だと思う。自分の心にだけ集中した感情を表現している。あまり沈黙の言語がない。その部分を音楽が補っている。この歌を前川清が歌うとまた違ってくる。前川清はこころの襞まで歌い上げる。

 「木枯らしの手帖」さんの文に戻りたい。「柊木」の花も香りが微かに風が乗せてくるところから文は始まり、柊木は鰯を置き去りにして、いつのまにかアメリカに渡り、魔除けに植えられている、という話を伝え、そして最後の感想を述べている。
 この葉の刺は老木になるとしだいに減少し、ついには全くなくなる。
 こうなると魔除けにはならない
 どうしてそうなるのか不思議だが、人間と同じで歳を重ねると
 角がとれて丸くなるということなのか・・・

と綴っている。見つめてふと思う時間が漂っている。これは沈黙の言葉である、とぼくは思う。「木枯らしの手帖」さんには突然許可も申し入れずに文を引用させていただいた。いわば評論のようなものだと捉えていただき許しを乞いたい。言語の縦糸と横糸、その編み目について言いたかった。上手く書けてないなあ。


 


  

 

和歌の浦 片男波

2019年12月10日 | 映画
有吉佐和子の小説「香華」のラストシーンで、知り合いの旅館の女将さんが、二階の窓から外の海を見て、「和歌の浦の波は寄せる波はあっても返る波がないのよ・・・片男波っていうのよ」と言う。映画で、この波が見えるのを期待して見たのだったがその波は映されなくてがっかりした。和歌の浦に行って見てみたいものだ、とブログで書いたら、息子のお嫁さんのお父さんからメールがきて、

「カタヲナミ」の出所は、奈良初期の万葉歌人山部赤人の歌、「若の浦に潮満ち来れば潟(かた)を無(な)み葦辺をさして鶴(たづ)鳴き渡る」(巻六919番)(訳:「和歌の浦に潮が満ちて干潟がなくなったので葦の生えた岸辺を指して鶴が鳴いて渡って行く」)から来ております。問題はこの歌の中の「潟を無み」の文法構造が、長い間(近世、たぶん明治時代まで)明らかにされなかったことにあります。人名や地名などの体言として理解されていたようです。だから和歌の浦に寄せる波になったり力士名(片男波)になったりしたのでしょう。しかし、正しくは、上の現代語訳からも分かるように、「***が・・・なので」と訳すべき副詞節であり、「をーみ構文」、または「み語法」と呼ばれています。万葉集には頻出します。だから和歌の浦へ行っても、片男波という波はありません。

と教えてくださった。ぼくらは義兄弟でもあるわけで、彼は兄貴だということになる。
 ぼくが干潟だったら波が寄せて水は吸い込まれていくのではないか、のような質問をさらにした。有吉佐和子はどこで寄せる波があり、返す波がないことをカタヲナミと知ったのだろうと思ったのだった。
 再度メールをいただいて、

 万葉集に、「浜辺に立って、海上から白々とよせ来る波が、足元に寄るとそこで行き所なく消えていく」という意味の歌(巻七1151)も確かにありますが、有吉佐和子のこの小説での会話では、ただ「片男波」という漢字の「片」にひかされて、寄せても返らない「片方向」の波というニュアンス(実際は返るが)で言われていると思いますが。

 干潟に水がなくなるのは、引き潮によって水が沖へ引いていくのであって、干潟に吸い込まれるということではないでしょう。

 とのこと。こういうやりとりに楽しさを感じる。しかし実際に海を眺めながら言う女将の言葉と「そう、カタヲナミ・・・」とつられたようにあいずちをうつ言葉はこれまで歩んできた人生を感じさせ、これからも寄せるように歩いていく主人公の姿にカタヲナミ=片男波で被せるのは見事だというしかないと思う。「笑っていいとも」でけたたましく出てきた有吉佐和子を思い出す。タモリが片男波をどこで知ったのか、何を意味するのか聞いてくれればよかったのに。



香華

2019年12月09日 | 映画
 3年ほど前に有吉佐和子の小説を結構読んで、中でも言葉の掛け合い、人間関係で痛快に面白かったのは「芝桜」と続編の「木瓜の花」である。「木瓜の花」は突出して面白い。おや、TSUTAYAのレンタルショップに「香華」という映画DVDがあるのを見つけた。「木瓜の花」を読んだあとに「香華」を読んだのだった。すさまじく勝手な母親で夫が死んでから娘を実家に置きっぱなしで、村の庄屋の息子と再婚する。この結婚生活にも飽いて、夫に東京に出て行こうとけしかけ、功を奏して、東京暮らしが始まるのである。小説の主人公は死んだ元夫との子で実家に置かれぱなしになった娘の須永朋子である。新しい夫にわがままばかり言い、夫は稼ぎもなく、実家からも援助をもらえず、結局、朋子を芸者屋に売り、朋子の母親もついでに公娼として売られることになる。この母親はついぞ反省をしたことがない。娘に悪いことをしたなどと思ってはいない。裁縫だけは上手であるが、兎に角銀座みたいなところが好きで万事楽しくやりたいという女である。

 そんなストーリーを思い出し、最後の小説のシーンを強烈に覚えていた。和歌の浦の友達の旅館から海の方を眺めて、「この和歌の浦の波は寄せる波はあっても返す波はない片男波・・・というのよ」(原文は覚えていない)人生もそうだ。寄せる波だけであり、返す波がない。親鸞はそうではないという。人生には往きと還りがあるという。そのことはともかく、これを映像で見てみようと思った。監督は木下恵介。音楽は木下忠司。前編と後編の2枚組である。3時間半。大正、昭和の建物、町並み、風景が現れる。ぼくが13歳になるくらいまでのぼくの知らない風景である。懐かしいような、珍しいような質感がある。

 母親役が音羽信子。娘の朋子役が岡田茉莉子、戦犯で絞首刑になる軍人は加藤剛。朋子の実家で下働きしていた少年が大人になったのが三木のり平。朋子の父が死に葬式をやっている最中に日露戦争勝利の報が届く。明治38年から映画は始まる。物語は昭和38、9年までである。朋子と知り合いの旅館の女将と片男波を見ているところで終わりである。

 ああ、そうだった。軍人を好きになって結婚を約束するが、男の親に反対された。その理由は母親が娼婦だったからだった。これは香華の中だったか。「紀の川」と「芝桜」や「木瓜の花」とこんがらがってきて、映画で再度確認するということになった。有吉佐和子の小説は「会話のやりとり」が面白い。ああ言えばこう言う。神経を逆なでするようなことを言えば次の日にはケロッと忘れている。木瓜の花の主人公の腐れ縁の女は「芝桜を咲かせる」のも、「木瓜の花の盆栽を育てる」のも才があった。香華のわがまま気ままで男好きな母親も「生地模様を見立て、それを縫って着物を作る」という才があった。憎たらしい女性とだけ描かれているわけではなかった。有吉佐和子はきっとけたたましい作家だったのではないか。そんなことも思った。

 和歌の浦へ行って「片男波」を見てみたいと思うが本当に返ることのない波はあるのだろうか。

COP25

2019年12月08日 | 社会・経済・政治
 現在スペインで国連会議COP25が開催中である。北京やニューデリーl、ロンドンなぢに大気汚染の再現施設で大気を実感することもできる。
現在、近年の気温の上昇は実感的に感じる。紀州の海の魚も変化している。脂のあるアジ、サバ、イワシがいなくなり、サンマにいたってはそもそも獲れなくなった。
 あと気温が平均的に一度上がれば、海水温も上昇し、北極圏の風の変化も気持ちが悪い。バタフライエフェクトも北極圏内全体の変化となると、蝶々どころではない。巨大な台風、カラカラの干魃、局所的大豪雨がさらに大きなものになると予想されている。尾鷲も近年は台風の道から外れるようになった。今年は東京方面に台風が上陸したものだから、余計に気候変動を思ったのだった。
 この気候変動に敏感に感じているのはヨーロッパの先進国の若者である。若者と言っても十代である。もちろん20代もいる。中国、インドを代表する戦後の後発国は排気ガスを出しまくる。日本もヨーロッパも出しまくった時期があった。鼻毛がドンドン伸びたのはぼくが東京にでた時だった。光化学スモッグの測定計まで渋谷駅前広場設置されていた。中国やインドに排気ガスを出すな、と言っても、あんたたちも出してきたではないか、とやり返されたら物は言いにくくなる。問題はもうそんな論争の次元ではないのだ。日本の高校生やヨーロッパの高校生たちもどんな論争とは違うところにあって、地球の生き死に、われわれ人間の暮らしの崩壊が迫っていることを訴えているのだ。アメリカ、オーストラリアの森林火事はなんだ。
 中国も、インドも公害をなくしていく方向には向かうだろう。だから電気自動車開発に力を入れている。
 それでも一度の上昇を止められるとは思えない。Co2を吸収する森林とCo2を出す量は1:2くらいで出す量の方が圧倒的に多い。
 Cop25。どう宣言するのか。そして各国は何をするのか。
原発賛成するものたちに逆手に取られぬよう、この愚かさにも注意、注意。
 
 

掘り下げる

2019年12月07日 | 文学 思想
 どれほどの人が「生き甲斐」を持って生きていることだろう。人間の多くは嘘つきだから、上手言いだから、「生き甲斐をもって生きていそうな人」をテレビで紹介されても、鼻白むだけだ。
 モーツアルトは生き甲斐を持っていたか、ゴッホは絵を描くことに生き甲斐を感じていたか。宮沢賢治はどうだったか。
 仕事で生き甲斐をもつ。いや「もてる」人をバカにしているのではない。本当のところむしろそういう人を尊敬している。
 多くの人は学生時代が終わると、どこかに落ちていくしかない。リクルートスーツを着て就職に頑張ろうと、今、明日の暮らしの安心感を得たいと思い、都合よくその仕事が自分なりにやれそうだ、思うくらいのものだろう。
 生きるということは「わけもわからず前に進んでいくこと」である。その途中で、人と出逢い、道が岐れ、また進むようなものである。その途中には苦い思いも、ちょっとした楽しさや、ガンとくる悲哀も伴いながら時間を重ねていくのである。人生は単調ではある。今日も、明日も、大まかには同じようなことを繰り返し、喜怒哀楽が一本の道に散らばっているようなものだ。

 今日、本屋で、「世界のニュースを日本人は何も知らない」(谷本真由美 ワニブックス新書)を見つけたので買った。こういうのは「縁を買う」というのだろう。新聞やテレビではわからない世界の真実に迫る、と表紙に書いてある。その本の著者の略歴を見、「はじめに」を読む。1975年生まれの女性である。「日本はぬるま湯のゆでガエルです、じわりじわりと熱されていき、やがて熱湯になったころには跳躍する力を失っているでしょう。たくさんの選択肢を失い、膨大な損失に苦しめられることになるのは目に見えています。(中略)世界のニュースにしっかりと目を向けて一人ひとりが意識を変えていくことを願ってやみません。」
 へえ、よく言うなあ。ああ、この女性はこのように読者を啓蒙しようとすることが生き甲斐なのだろうか。決してそうではないだろう。関わってしまった場所から関わってしまった事柄を深く掘り下げてみたのだろう。まだ最終の底までは到達していないはずだ。明日から読んでみようと思っている。

どうなっている?

2019年12月06日 | 社会・経済・政治
 聞くところによると、アフガニスタンで医療や用水路造成で干魃による被害をなくし、砂漠を緑化していった中村哲医師は何らかの理由で狙われて殺されたらしい。用水路ができた付近の土地は20倍にもはね上がったという。緑化された土地の奪い合いが始まったらしい。どこまで本当かわからないが、もしも土地争いに巻き込まれたのなら、ホモサピエンスの愚かな部分をさらけ出す愚行による被害である。当然中村医師はよかれと思って活動している。彼の考えと牽引する力で干魃になりにくい土地ができていく。その地域の人々とってもいいことだ。飢えから救われ、新しい発想に技術を得て、更にアフガニスタンの人々は用水路を造り、開墾をしてゆけばいい。中村医師がどうして絶対的に殺されなければならないのか。その動機を知りたい。どうなっている?

21年はすぐ、しかし十分な成長をする期間

2019年12月05日 | 日記
岡田さんが「キャサリーン ヘップパーンやで。エルミー これは絶対採用やな」
ぼくもその時面接に同席していたのだと思うがその時のことは覚えていない。岡田さんはしっかり覚えていそうだから今度聞いてみよう。エルミーは南アフリカからやってきた。親はダチョウを飼育する農場を経営していた。エルミーの夫となったサイモンはイギリスからやってきた。斜陽の国イギリスからやってきたのだが、サッチャー政権となり、若者にフラットや家を持て、と奨励政策をした。サイモンはそれに乗ってフラットを買い、そこで家賃をもらい、自分は日本に稼ぎに来た。たぶんローンを組んでいたと思う。借家人が何かの事情ででていくと、次の人を見つけるのにちょっとイライラして不動産会社に電話しているのを見たことがある。サイモン、エルミー、パトリシア、ブルースなどなど会社の寮で共同生活をしていた。
 彼らは十分に尾鷲を楽しんだと思う。もう4月になると魚飛び溪の川で泳いでいたから白人というのはどんな体温を持っているのか、不思議だった。4月の川の水は冷たくてしかたがない。
 尾鷲の人たちも白人には珍しいこともあってか、白人には弱いのか、兎に角過剰に親切でもあった。
 彼女、彼らの仕事は「英語を教えること」「英語の録音」などであった。

 当時の日本は円高で、アメリカ人でさえも働きに来ていたから円は魅力だったのだと思う。

 エルミーが帰ってしまってからサイモンは元気がなくなった。サイモンが片思いしていたのだ。サイモンが助手をするセミナーの帰り、温泉に行ったとき、彼の落胆さを見かねて、「おい、サイモン、南アフリカに行って来いよ。はっきり告白して、結婚の約束でも取り付けて来いよ。休んでもいいから」と励ました。サイモンの行動は速かった。すぐにチケットの手配をして翌週には南アフリカに飛んで行った。そして明るい顔をして帰ってきた。翌年二人は結婚し、しばらくしてからまた「働かせてくれないか」とやってきた。尾鷲に空きはなかったので、名古屋でだったらいいよ、と言って、二人はOKしたので、二人は名古屋で働いた。当時南アフリカはアパルトヘイトが廃止されて、マンデラ大統領が登場した時期だった。まだまだ南アフリカの経済は弱く、円とは比較にならないレートだった。二人で一年稼げば、サイモンが南アフリカで事業をするにも大いに役立ったことだろう。
 エルミーはその後三人の子を産み、育て。サイモンの不動産事業は成功した。

 先日、サイモンから家族一家の写真が2枚送ってきた。長女も21歳になった。それが女優以上に美しい。長男、次男もいい高校生そうである。確かエルミーは出自はオランダだった。サイモンはイギリス。なんとまぶしいくらいの家族を作っている。3月末に5人が来るので楽しみにしている。もうじき子供たちもみな大人になる。


キャンセル

2019年12月04日 | 社会・経済・政治
Ko さんと会えなかったのが残念だった。以前にも書いたが彼は元台湾代表のラガーマンだった。台湾との公式な国交断ってから、彼は台日交流協会作りに協力し、幹事の役割を担った。パスポート発行から、日本との経済交流、親善交流などの窓口を行ってきた。

 今回は早稲田対明治のラグビー試合を観戦にきた。また森元首相とのツーショット写真と仲間で撮った写真を送ってきた。彼はラインを使って音声でメッセージが来たり、写真の添付もこまめである。オリンピック大会組織委員会の会長でもある森元首相とは単にラグビー繋がりだろうと思える。気さくな付き合いだろう。
 赤坂見附付近に3泊して、東京の夜景にも満喫したのだろう。そんな写真もあった。ぼくは友人らを紹介し、翌日は日中、紅葉でもKoさんと見に行っこうかと思っていたのだった。
 ぼくの突然の血尿でキャンセルするとはぼくも情けないものだ。

 台湾は今後ますます事態が難しくなることだろう。中国政府は一国二制度を上手くやり、参考にすればよいのに、ほぼ脅しの形で、学生を制圧した。香港はいつか独立宣言ができるだろうか。
 一方で14億人の食糧を確保しなければならない中国政府は台湾国民党を迎え入れ、政治体制を変えて、共和党と民主党のような二大政党にならないものなのか。中国の台頭は凄まじいものがあるが、なんともマスコミを通じてイメージが悪い。政治のことなど日々考えることもなく、それは前衛エリートに任せ、彼らがよい政治をしてくれたら文句ないのかもしれない。賄賂、忖度、政治のことを考えないですむ国などないのかもしれない。つまり善のみで大衆を引っ張る前衛エリートというのはありえないのかもしれない。一党独裁があやういのはそういうことだ。
 台湾もまた総統選挙が近づいている。Koさんはこれからの10年、20年をどう描くもだろう。そんなこと聞いてみたかった。本当に残念だった。
 

衰退

2019年12月03日 | 社会・経済・政治
20年を振り返ってみると、個人的な事情の流れは脇に置き、日本は縮小したのだなあ、と思う。身近なところで言えば、都会の絶好地を除いて、土地の価値が極度に減少した。資産だと思って買った土地はその価値を無くし、姉の夫のお姉さんなどは土地の管理がたいへんで隣に5万円でひきとってもらった、という。ゼロ円でもよかったのだと言う。隣の人が、ゼロ円ではあまりにも、ということで5万円になったらしい。最近、不動産取引に立ち会う場面があって、尾鷲の商店街にある家の持ち主も台風のたびに心配して、売ることに決めた。放っておいたら、200万円か300万円かけて取り壊さなければならない日がくる。
 取り壊し代を払ってまでも売る人もいる。多くの地方の町では土地価格が下がり、家はお荷物になる、という状況である。

 小浜逸郎のブログで氏は「貧困化した日本」というタイトルでブログを書いている。データ資料もそろえている。このブログを読めば、だいたい日常的に感じているこの20年の変化がわかる。一方自民党の片山さつきもテレビ討論番組でデータを出してくるのだが、経済はよくなっているの一点張りで、都合のよいデータをグラフにして宝物のように出してくる。データというのは都合のよいように変えることもできるトリックがあることもぼくは知っている。片山さつきのデータはぼくの実感に合わないが、小浜氏のデータ、および解説は実感を伴う。

 日本の生産人口は減っているから「一億総輝き社会」と言って、女性、高齢者への労働を促す。それで一人当たりの生産性が上がればいいが、上がらない。日本は減りゆく人口社会の中で、一人当たりの生産性を上げていかなければならない。このことに注力する意見をテレビなどで聞いたことがない。

 自民党政治とは一度既得権益を得たら動かない政治を行って票を獲得する政党である。また数と質をコントロールする政治である。タクシーの台数や医者の数、弁護士の数まで決めるのである。普通、数までもコントロー-ルする必要はない。数をコントロールするとこれ以上増やさないというような団体が出てくる。
 これに現在の自民党は「忖度政治」を黙認する党となっている。

 貧困化するとなぜ悪いか。教育の質が下がる。モラルが荒れてくる。アポ電強盗のようなものだ。さらに自民党政策だと貧困が固定化する。流動化することがなくなる。弱者が這い上がれる。強者が弱者に換わり、その弱者はまた捲土重来が許されることが必要であるが、自民党の既得権益保護が主たる方針の党であるから、いつまでたっても新陳代謝はしない。ダメな産業、零細、中小企業には退場してもらうか転業してもらえばいいのに、補助金で保護して塩漬けにする。

 野党はひとつになって明確な対抗軸をわかりやすい言葉で言えなくてはならない。共産党は名称を変えた方がよいと思う。すでに彼らの主張は共産主義ではない。共産社会はまだ時代の先にくるものだ。この社会の衰退を野党もチマチマ仲違いしてないで、大同につくべきだ。

 ぼくは感覚的に小渕総理あたりから日本はおかしくなってきたな、と思っている。そして決定打となったのは小泉純一郎ではなかったかと思っている。その頃は小泉大フィーバーであった。派遣社員制度が始まろうとしていたのに、国民は呑気に小泉に熱狂していた時代があった。