25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

病気

2019年12月02日 | 日記
くたびれきってしまった。以前、チンチン出して先から内視鏡を入れるのを想像するだけで恥ずかしく、こういう場面がやってこないことを願っていた。内視鏡で検査するのは最後の最後だろうともネットで検索もして追っていた。昨夜は寝つきも悪く、熟睡もままならず、朝9時に病院に向かって。すでに10人ほどの客がいる。
 問診票に記入をして静かに順番を待っていた。その間に、血をとり、尿を取った。
 名前を呼ばれて、いよいよ診察室に入ると、な、な、なんと女医さんではないか。後ろに4人の看護師がいる。参ったなあ、女性かよ。「排尿するとき、痛みもないんですね。このような場合、癌を疑います」
 ぼくはあわてて、「ですからCTを撮るんでしょ」。女医は「CTではわからないこともあるんですよ。膀胱鏡で診た方が早いですよ」「ええっ! ここから入れるんですか?」 若い女医は胸を張って「大丈夫です。私、もう何千とやってきてますので」。岡田さんが逃げてきたら、と言ったのを思いだしたが、逃げられる雰囲気でもなく、若い女医から「今日すましちゃいましょう」などと励まされる。結局観念して、また待合室で待った。検査室に呼ばれて、入ると、検査用の衣類に身につけ、下半身は脱いで、入ってください、と言う。
「ベッドのこちらを頭にして仰向けになってください。ベッドの高さを調節します」チンチンは冬で縮こまっている。「失礼シマス。アルコールで消毒シマス」と手際よく済ませるとすでに女医さんもいて、間髪入れず、スルスルと尿道へ。画面には早くも膀胱の光景が見えてくる。ひとつひとつ説明してくれる。こちらが左側の尿管からくるところです。血は出ていないようです」「腫瘍はどうですか」「腫瘍もなさそうです。ただ前立腺がやや肥大してます。これがそうです」 10分もかからず恥ずかしい時間は終わり、また診察室へ行き、「とりあえず、尿路と膀胱、前立腺には癌はありません。あとは尿管、腎臓です。腎臓の数値がちょっと悪いようです。
これはCTを撮って診ます。今日やっちゃいましょう」女医は張り切って言っていう。「やっちゃいましょう」とぼくもすっかり気を取り直して、血液造影剤を入れて、CTを撮ってもらった。胸から骨盤までである。この泌尿器科医は腎臓までを診るのが担当である。左肋間が痛いのは、CTデータがかかりつけのクリニックに送られて、かかりつけの医師が診ることになる。

 ちょっと腎臓が心配である。数値がよくない。それでも来週の月曜日にはわかる。肋間が痛いのもわかることだろう。大人しく待っていればよい。
 女医さんが「最近、何か重労働しました?」 と訊いたので、こんなことが重労働なのかわからないが、40キロのジャリを4往復ほど片道20メートルくらいですが、運び、また次の日も運びました」
「前立腺がやや肥大していると前立腺同士が擦れ合うときがあって血がでるときがあるんです。重い物を持ったり、力仕事したときですね」「そうなんですか」

 というようなことで、恥ずかしさもどこかにすっ飛んでしまい、今日の第一関門は終えた。来週が第二関門である。最後は左肋間周辺。

 それにしてもこの前の「朝まで生テレビ」の討論でこの20年ですっかり先進国中で貧困化したこと、その原因などが話題となり、「日本はこれからどうなるの」「どうするの」と言っている。言っている人たちは健康である。かたや、自分の体のことに気を遣わざるを得ず、今日の日本、明日の日本のことなど考えることができない時空というか、環境がある。そこにどうしても入らざるを得ない。
 病気は社会生活を送れなくする。
 ぼくも早く脱して、今日の日本、明日の日本を考えよう、などと思うのだ。