25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

ハラリ氏のホモ・サピエンスについて

2019年12月28日 | 文学 思想
 ユヴァル・ノア・ハラリ氏の「ホモ・サピエンス全史」は尾鷲の書店でも置かれ、続く「ホモ・デウス」でついに人類は別の物、つまり神の領域に入り込み「神」になると分析している。昨年、今年の世界的ベストセラーである。出版後、彼はテレビインタビューにも世界各地での講演会にも出席した。
 日本ではNHKがトンマな池上彰が聞き手となって要は本の解説をさせるだけで、この本にたいする疑問、批評というものはまったくなかった。多くの分野の「わかりやすい解説」で有名だからどんなインタビューをするのか、好奇心があった。
 ハラリ氏はホモ・サピエンスが他のホモ属より抜きん出たのは「フィクション」を作り出す能力をもったからだと断じている。

 ぼくらはこの「フィクション」という観念世界については1970年に吉本隆明の「共同幻想論」ですでに知っていた。吉本隆明は観念の領域には、個人幻想と対幻想と共同幻想があると「古事記」「遠野物語」を解きながら、この三つの観念を証明した。残念ながらこの本は日本語で書かれたため、またその意義を見出だす英語圈人が現れなかったため、翻訳されて世界に紹介されることはなかった。ついでに言っておくが2016年に漸くフランス語翻訳電子版が刊行された。
ハラリ氏はこれを読んでいないように思える。翻訳するに難解なこの共同幻想論の「共同幻想」とハラリ氏の「フィクション」は同義語である。

 ハラリ氏の論は単純である。ホモ・サピエンスがフィクション(共同幻想)を生み出す。フィクションの代表的なものは集団の一員で生きるためにまもらなければならない「法」であり、もっとも集団を大きくまたがってより大きなフィクション(幻想)を作り出した。ハラリ氏は無神論者のユダヤ人であるが、絶対の神を強く意識している。神を作り出したホモ・サピエンスはテクノロジー、たとえば分子生物学や遺伝子工学、AI などによって神の領域に入り、神の領域に入った人間と無役な人間にホモ・サピエンスは分かれていく、と説く。具体的に言えばAIのような知能を操り、コントロールする人間と知能に仕事が替わられ、役に立たない人間の層に分かれるということだ。

 ぼくの理解のしかたではこのハラリ氏の書物は以上の事が分厚い四冊の書物の物語である。いわば「神とテクノロジー進化論」である。この書物では何の解決案も示されていない。
 ぼくは以前にも何度かブログで書いたように、個人幻想と共同幻想が完全に一致したときが人間の一番危ないときだと吉本隆明の本を読み、さらに50年たって真面目に考えるようになった。解決の方法は共同幻想を解体することであり、個人幻想が共同幻想に対して自立することである。共同幻想にいくつかの出口を作っておき、個人幻想が自由に出入りできるようにすることである。それは知能ではすることができない。優秀な知能というのはおうおうにしてアホだからだ。自由に出入りさせられるのは「意識」である。
 AIがどうなろうと、ビッグデータがどうあろうと、それが豊かさをもたらすことを保証しない。それらの知能も人間に乗っかっているだけだ。ハラリ氏の思索では戦争を止揚することはできない。
 その視点がごっそりと抜けている。戦争を生むのは強固な共同幻想と強固な個人幻想が結び付いたときだ。