25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

ポケモンgo

2016年07月23日 | 社会・経済・政治

   高校生や中学生がぞろぞろと北川沿いをゆっくりスマホを見ながら歩いていく。「おるかい」と訊くと、「おるっすよ」と応える。マックに行けば、高校生たちがポケモンgoで大興奮している。あまりにも喧しいけど、様子を見ていた。ゲームの特徴は「没頭性」にある。この面から考えると、サッカーやラグビーやゴルフなどと没頭性に変わりはない。いつの間にか飽きるもの、バッテリーや資金で止めてしまうもの、熱が冷めてしまうもの、いろいろだろう。

  現実の動画カメラの映像を使うという発想から、 いろいろなもが出てくることは間違いないない。今後、リハビリや教育の場面で役だとうが、この消費社会には必要不可欠のものではない。子を養う親や、これに没頭する夫や妻の家計費はどうなるのだろう。

悪用というのもあるのかもしれない。ポケモンgoで死ぬなんてことが起これば、実に情けない。

 人間の感染症は、先の戦争でファシズムを生んだ。夢うつつのように集団になってポケモンを探す様子は何かに憑かれたようにも見える。そういう操作もできる可能性もある。妙なものがでてきたなというのが、先ずの感想である。