25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

夢を見た

2016年07月15日 | 日記

 今朝方、友人の医者が死んだ夢を見て、葬式にいくために、家まで黒服をとりにいかなくては思って、中井町の通りを歩いていたら、すれ違った女性は高校生の時に大好きだった。Y子だった。Y子は当時の顔とは少し違っていた。高校を卒業して以来、顔も合わせていないのに、どうして少々老けているのか、僕の脳が作り出している。お腹の下のほうにも脂肪がついていた。僕はびっくりしたが二言、三言話をした。「あそこの店でアルバイトしてるの」と彼女は指を差すと、そこは二階にあるカフェバーのようなところだった。「えっ、それではいつでも会えるわけ?」と僕は言い、「Yちゃん、ちょっとお腹に肉が付き過ぎじゃないか」と言って僕は彼女の下腹あたりをグイと掴んだ。彼女は恥ずかしがりもせず、中年女そのものになっていた。そこで夢が覚めた。

 Y子の夢に初めて出てきた。友人の医者はすでに亡くなっていたのに、亡くなったときの夢が始まりだった。彼の住む家は海が見える敷地の広い豪邸であった。

 この頃思うことだが、膀胱への尿の溜まり具合と夢は関係しているのではないか。

 朝方、膀胱に尿が溜まっているなと目を覚まし、まだこれくらいだったら、わざわざいあなくてもいいや、と思ってまた眠ると確実に夢を見る。尿意で目を覚ますわけだから、おそらく尿意は膀胱と膀胱は脳とつながり、浅い眠りとなって夢を見るにちがいない。しかし夢とは実に不思議で、結構、外国語は読めるし、話すこともでき、人物の装飾も、過去の事物の組み合わせを自由自在のように思える。実は自由自在ではないのだろう。あまりにもあれとこれがくっついてでてきて、脈絡もないので、滑稽であるが、おそらくこれまで生きてきた中の組み合わせに違いない。

 それにしても久しぶりの夢の中での出会いであり、思いもつかなかったアルバイトをしているのはとても驚き、興奮したのだった。それでいよいよトイレに行きたくなった起きることにした。