25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

世界の変わり様

2016年07月08日 | 社会・経済・政治

 奇怪な事件の始まりは、少年による「神戸連続児童殺人事件」だった。1997年だったと思う。この事件の前、1995年一月に阪神淡路大震災が起こっている。その二か月後にはオウム真理教による「地下鉄サリン事件」が起こっている。

 これらの一連の流れの中で、バスジャック事件や池田小学校乱入殺傷事件などがあり、秋葉原事件などがあり、2011年3月11日には東北大震災が起こった。大地震は熊本にも起こり、猟奇事件は今も続いている。

 テレビ映像で子供たちはそれらの映像を見ている。もちろん映像が悪いわけではない。必死でよりどころを求める脳のポケットに映像も入り込むように思える。

 神戸の事件では「祖母の死」「母のせっつかせる性格」が取り沙汰された。人はあっけなく死んでいくものだ、という思いが「人を殺してみたい」という願望に変わるとしたら、どのような脳の経路でそうなっていくのか、解明はされない。大都市が一瞬で崩壊する。町が津波でのみ込まれてしまう。地震の活動期と並走するように少年や奇妙な大人の事件が起きる。経済は停滞期に入っていた。

 一昨日の突然背後からアイスピックで突き刺した少年。なぜそうなってしまうのだろう。両親の育て方だけでは説明がつかないように思う。バーチャルな世界からリアルの世界に踏み込んでしまう脳。

 う~ん、と思いながらも、すでにこのような事件に「神戸の事件」ほどショックを受けないのは、なれてしまったからなのだろう。

 オウムのようなテロは蔓延してしまっている。世界は1995年あたりから確かに変わり始めた。