25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

雪の轍(わだち)

2016年03月07日 | 日記

  「雪の轍」というトルコの映画を観た。2014年カンヌ映画祭のグランプリ作品である。カッパドキアの村が舞台であり、主人公は村でも貸家やホテルももつ地主のインテリ初老である。地方紙に文を書いている。離婚した妹、ずいぶんと若い妻が同居しているが彼の世界は彼の部屋であり、パソコンに向かって座る世界である。年若い妻には自由にさせている。西洋的思考をし、宗教を信じているのでもない。

 家の借り主としてイスラム教の導師がでてくる。その兄は人刺してしまい、服役後、差別を受けて一家は苦しく、導師である弟の収入だけでは家賃は払えない。

 西洋的世界、イスラム的世界、貧困と裕福、慈善、商売

老い、若さ、プライド。時物や風景や登場人物の表情は映像で表され、そこにシューベルトのピアノソナタ20番が流れる。小説で言えば地の文である。全体は会話文、セリフ、やりとりが壮絶である。上から目線の金持地方インテリに妹も妻も言い返していく。3時間19分の大長編である。カッパドキアの春の風景、冬の雪景色も、シューベルトの曲と重なって、人間とは理解しあうことの困難さを描ききっている。脚本を書いたひとはどんな人か知らないが、チェーホフとシェクスピアを融合しているという。3時間を越えて映像付き小説を読んでいるようだった。

 こんな映画も渾身の力でつくられるのだ。英語タイトルは Bitters End  という。もっとも印象に残る言葉は「善人の地獄であった。圧巻は最後の方にある。善意とプライドの描写であった。


イラクの子供たちが

2016年03月07日 | 日記

    イラクの子供たちが東北の大震災の被害者の人々に向かって日本語でメッセージを送る。それが東北の書店で公開された。

 思わず、これはどういうことかと考えてしまった。 一般の人々は優しいのである。イラクが今の状態になっているのもその人々 や独裁者やアメリカ、それを支援する日本などのせいであるが、イラクの子供はそんな政治的なことは知らない。

 ただ心の中で支援したい、なにか励ましたい、ということなのだろう。

 それにしても、では日本は、というと、イラクの子供たちに励ましのnメッセージを送っているのだろうか。そういうニュースを聞いたことがない。

 我国、我故郷、我町、我家族、我土地で精一杯のように思える。 なぜイラクの子供たちが。十分考えるに値する出来事である。


春はまだ来ない

2016年03月07日 | 日記

  今度はどんな小説を書こうと思いながら、過去最近に書いた二つの作品の推敲をした。出てくるものである。誤字、脱字。

 次の物が浮かんでくる前に、どうしても「相撲取りになるど」の後編が浮かんでくる。それで、相撲部屋のことなど、相撲取りの一日など、いろいろと調べて、今日から「後編」を書き始めている。全編は「相撲部屋に入るまで」、後編は「入ってからのその後」ということになり、兄の様子も描かれることになる。

 もともと相撲は好きだから、書いていても自分は面白いのだが、小説としておもしろいものかどうかがわからない。知人の弁護士に読ませたら、大衆小説好きで詳しい彼は、率直な感想を聞かせてくれた。「主人公がさわやか過ぎるとちゃうか」「悪人がでてこんな」「でもおもしろかったし、新しい相撲の着眼点がちゃんとあったからこれでええんとちゃうか。これで行ったら」 という感想を受けて、その原稿を「小説すばる新人賞」に出した。すると、大相撲の新弟子検査は3月場所で行い、そのまま前相撲をとる、ということがわかり、しまったと思った。僕の小説では主人公は4月に入門し、五月場所で新弟子検査を受けることになる。これはこれでいいのだが、2ケ月、主人公は僕のおかげで損をすることになる。

 まっ、いいか、と思い、書いている。

 暖かくなってきた。木蓮が満開である。道端に花が落ちるので、それを拾いとる作業がある。

 春はもうすぐなのだが、僕の春はまだ当分来ない。これには参る。