25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

卵子の問題

2016年03月15日 | 社会・経済・政治

 保育園が不足し、統計以外の数を合わせれば5万人を超えるという。団塊の世代や団塊の子供の世代のときにはこの不足問題はニュースにもなっていなかった。現在は子供の数も減っているはずである。なのになぜ不足するのか。たぶん理由は三つある。

 両親とも仕事をしたいという人が増えたこと

 若い世代が共働きをしないと現在の生活も将来の生活も不安であること

 生活の水準を下げたくないこと


 考えられるのはそのくらいである。堤防や高台移転やら、オリンピックの国立競技場だのデザインだのエンブレムだの聖火台だのとやっている間にも保育園に入れない子供がいる。

 僕は「一億総活躍社会」など、死ぬまで働け、女性は卵子を傷めてまで働けと言われているようで「まっぴら」である。まっぴらであるが、おそらく日本は夫婦が共に働かないと生活や消費の維持ができていくにくいのだ。

 婚期を逃してしまうということは「卵子」の問題でもある。障害をもつ子どもの急増は女性の労働や晩婚化とも深くかかわっている。とりあげにくい話題なので、テレビなどでなかなか紹介されない、逆に40歳で元気な赤ちゃんを産んだ、というほうが明るいニュースとなる。そして40歳でも産めるのか、ということになってくる。この延長には赤ちゃんを子宮に着床させるのではなく、体外で受精させ、体外で育てる技術の登場ということになるのだろう。おそらく女性はそれを求めていくことだろうと思える。

 50年もすればどうなっているのか。その時は僕はもういないからわからない。iPS細胞で120歳まで生きているかもな、と思ったりもするが、その兆しはすでに出ていることから間違いのないところなのだろう。するとそういう子どもの心の問題はどうなるのだろうと考えてしまう。