25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

高い堤防は必要か

2016年03月11日 | 日記

 常々思うことだが、東北の大津波が起こってから、復興ということで、高い堤防を作っている。千年に一度といわれるこの自然の現象に堤防だけでも1兆円使う。このような馬鹿げたことがあるか、と思う。これまで何兆円使ったか知らないが、もとの場所にさっさと住宅を建てたほうがよいと思う、土建業での経済的波及は小さい。それに比べて住宅建設はあらゆる業種に及ぶ。津波は逃げるが価値でいくら堤防を作っても、それは想定外のことと考えざるを得ない。それよりも逃げて命を守り、政府は高台移転で土木を住所録するよりも、さっさと元の場所に家を建てればよいと思う。

 高い堤防は景観を悪くする。どうして行政や市民はこのようんsことを求めるもかわからない。

 妻の実家の両親も津波で死んだ。家も流された。跡地だけが残っている。そこへ、高い堤防を作るということだ。するともう行く気になれない。

 原発事故も髪の毛ほどの差の偶然の東日本崩壊の危機回避であった。おそらく東電はやがて溜まりに溜まった汚染水を海に流すことだろう。最終始末もできない技術を使うなどというのはとんでもんし暴挙である。僕は大いに憤るのである。

1兆円あったら家は10万棟できる。1000年後のために高い堤防は本当に必要だろうか。