25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

小春日和

2015年12月09日 | 日記

 旧暦で換算すると、小春日和は今日までということだ。その今日はまさに小春日和だった。おそらくまさに今日はイガミ釣りには最高の日だったはずだ。

 磯でのイガミ釣りを諦めてからもう三年ほどになる。行きたくて疼いてくるのだが、危険だと、言い聞かせて、我慢している。地磯はとてももう無理だ。船に乗って、空が橙色に光始めて、雲の色も変わり始める頃に、海を渡る。もうこういう経験はできないのかもしれない。船での釣りは意外と体力を使う。

 鯛釣りの名人だった父の友人が船で転び、死んだ。心筋梗塞だったのか、転んで打ちどころが悪かったのか、もう覚えていないが、とにかく船の上でも死ぬことはあるのだ、ということがわかった。

 小春日和を楽しむと言って、妻が弁当を持って友達と出かけて言った。イルミネーションを楽しみにいく、というのでなくてよかった。

 12月になると電飾が激しい。どこかイカレているのではないかと思う。コンビニの電灯も明るすぎると思うが、夜は夜の闇がほしい。もう夜の真っ黒な闇は山の中にいくしかない。バリ島では夜は夜らしい。電気もほんのりで、車から見える店の灯りも薄暗い。僕はそっちのほうがよい。

 街や家を派手に、派手にとしていく日本人はどういうこふうなのだろう。電気が足りないから、自粛してほしいと呼びかけたのは4年前のことである。電気は足りた。電気代は上がった。すると石油の値段が下がった。電気料金は同じである。

 日本の12月というものもあるのだろう。それがどこもかしこも電球で飾って、ウキウキとする。師走。一年の最後の月。仕事もその月には収めたい。支払いもしておきたい。そして、この一年を静かに振り返りたいという気分もある。厳かに一年を終えたいという気分もある。

 キリスト教者でもないのにクリスマスというのも僕は変なことだと思っている。別にそれを毛嫌いするわけではないのだが、不思議なのだ。この頃はハロウィーンまでする。これも不思議なのだ。祭りよりも普及しているのは祭りは共同作業で、ハロウィーンやクリスマスは個人的な作業で、そっちの方に日本人は向いていったのかもしれない、などとも思う。

 いやいや小春日和。今日でおしまい。一杯やろう。本格的に冬だ。