25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

現在の日本

2015年12月07日 | 文学 思想

  生後3ケ月の子に覚せい剤を飲ませ、中毒死させた男の名前はりっぱだ。天翔。この男性と母親である女性の生い立ちを知りたいものだ。どのようにして、こんな犯罪ができるのか不思議でならない。ゴミ箱の中に捨てたという母親の事件もこの前、あった。

 親からの愛と、子供世界特有の冒険的体験と、親同士の仲の良ささえあれば、このようなことをする大人にはならなかっただろうに。

 現在の離婚率はどのくらいなのか知らないが、見聞すると、ずいぶんと増えている。母子家庭、父子家庭のこともよく目にする。母子家庭であっても母親が愛し、ときに父親の役割もして社会性を教え、子供は安心して育つことができれば、十分であると思うが、

 自分たちのかってな性欲で子供ができ、かってにに離婚し、子供に家庭というものの味を知らない子供も増えているのだろう。この消費社会での経済的困窮もあるのかもしれない。

 一方で、親の介護をするために離職しなければならない人も増え続けている。親が死んだあと、その離職者はどのように暮らしていけるのか、それも心配されている。お金持ちはその点はどうにでもなる。かつかつの年金で暮らす母親を看取るには介護施設に支払う料金ではできない。またいいところに施設はなく、それなりに高い。

 戦後の軽税成長期に核各家族が多く都市に誕生してから、こうなることはわかっていたはずではある。ところが政府はそれに見合う政策をおろそかにし、公共工事に邁進してきた。ダムと堤防とテトラポットと道路にどれほどのお金を使ったことだろう。また相変わらず、一次、二次産業にどれだけのお金を使ったことだろう。

 経済は高次化してこそ、牽引力が強まるというのに、地方も地場産業を唱え、自民党は一次、二次産業の従事者に支援されて政権を維持している。すでに三次産業以上が60%を超え、70%ほどにまで達しているというのに、税金の使われ方は真逆である。

 尾鷲においても、マンガ、イラスト、デザイン、コピーライター、PCプログラムができる集団がひとつあれば、一次産業も二次産業や三次産業までも、相当牽引できるはずである。そんな集団を育成する政策すらなかった。議員は地場産業の活性化を叫ぶばかりで、何の政策提案もできずにきたのだった。

 それは政府も同じだった。

 このままの予算の組み方を維持していけば、11年後に、国の借金と国民の貯金額が同じになる。つまり、ここで破綻すれば個人の貯金は国に献納(没収、または不払い、凍結)となる。戦後、一度日本人は経験している。超インフレが起こったのである。超インフレが起これば国の借金は超目減りする。その代わり、国民の貯金の価値は超安くなる、という手を使った。戦後の復興はそれからであった。もう一度同じようなことを体験しなければならないのだろう。

 お金のある人はドル貯金をする傾向が増えている。アメリカはセールガス技術をもったおかげで、中東諸国は原油の原産もできず、値も上げられない。

 日本は、というとメタンハイドレードやマグイネシウムや、再生可能エネルギー技術の開発にお金をかけず、石炭火力を世界にPRして顰蹙をかっている。

 経済成長の夢よ再びもわからないことでもないが、成長せずとも維持ができ、人口に見合った縮小社会になることも頭におさえておかなければならない。そしてそんなことは国民という大消費者がサイフの開け閉めで行っている。閉めたら政権は退陣する、という風になっている。ただしそれは無意識のことだ。国民が自覚的となれば(すでになりつつあるように思うが)、縮小社会に向かっていくはずである。それでいいのだ。贅沢なものが美味しいとか、高級車がよいとか、宝飾品がどうだとか、どうでもいいことではある。