25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

クリスマスイブ

2015年12月23日 | 日記

  縄文人が1万5千年にも渡って文化を築いていたことが、遺跡や土器、土の中にある花粉分析などから明らかになっている。僕らが中学や高校の教科書で習った縄文時代とは全く違っている。エジプト、メソポタミア、インダス、黄河文明よりも長く文明を築いていた。5000年前には集落を作り、自然循環型の社会を作り、国家というものを作らず、稲作を拒否して、定住をして狩猟採集を続けた。火焔土器のデザインの意味することをパプアニューギニアの土器研究をする人がいる。湖底に土を採集して年別の樹木や果実のあり方を探るイギリスの研究者がいる。1万年以上も継続させたものは何だったのかを経済学や社会学から考えるアメリカ人がいる。

  やっとのことで稲作を持ち込んだ弥生人は自然を破壊していく文化を持ち込んだとも言える。「大和魂」などという言葉は、縄文時代に遡ってしまえば無意味であり、天皇制さえ、意味をなくすように思える。まだ弥生人の時代は2000年ほどのことであるのだから。

  地球の温暖化で、日本列島には四季というものが生まれた。四季それぞれの植物や魚介類、冬には狩をした。途切れることがないように栗の木は意識して植えられた。アクや毒を抜くのに、土器で煮込むこともした。さまざまな装飾品でからだも飾った。豊かだったのだろう。

  縄文時代が終わる頃、中国では秦の国が中国を統一した。近代的な中央集権の制度をつくりあげ、漢字を統一した。メールの送受信と保存ができるようなシステムをつくりあげた。始皇帝が死ぬとすぐにまた国家は分裂し、戦乱となる。その点では縄文人は戦争を起こす国家を作らなかった。

  今日はクリスマスイブ。ターキーは大きすぎて、鷄にして、夜、バッハの「マタイ受難曲」を聞きながら、ディナーをした。ちょうど一時間で終わったため、世俗に戻ろうとしたが、妻君がヘンデルの「メサイア」をプレイヤーに掛けたので、それを聞いた。

  キリスト教も仏教も、儒教も、イスラム教も、どの宗教も過去を懐かしむ。宗教の特徴である。

  僕は旧約聖書にある「ヨブ記」を思い起こしている。どんなに信心深く、どんなに善を施そうとも神はヨブをいためつける。これでもか、という程度ではない。徹底的に善人ヨブを虐待する。

  キリスト教者でもない僕がヨブのことを考えている。可笑しな話だ。

  遠く、瞬く星々を見る。温かな24日であった。

 

 

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