パグウオッシュ会議の名誉会長である、ロートブラット博士が8月31日に亡くなりました。96歳でした。
博士はドイツの原爆開発に対抗して作られたアメリカの原爆開発の「マンハッタン計画」に参加していましたが、ドイツが原爆開発を断念すると、ただちにこの計画から離脱し、以後の生涯を核廃絶の運動に捧げました。
1955年の「ラッセル・アインシュタイン宣言」に署名した11人の一人で、57年に核廃絶を目指す科学者の連帯「パグウオッシュ会議」を創設し、95年にこの会議と共にノーベル平和賞を受賞しました。
今年、広島で行われたパグウオッシュ会議にも出席の意向を示していたそうですが、入院中のためかなわなかったそうです。
核開発に携わった人が、みんな博士のような人ばかりだったとしたら、広島・長崎の悲劇は起こらなかったのではないかと思います。
心よりご冥福をお祈りします。
博士はドイツの原爆開発に対抗して作られたアメリカの原爆開発の「マンハッタン計画」に参加していましたが、ドイツが原爆開発を断念すると、ただちにこの計画から離脱し、以後の生涯を核廃絶の運動に捧げました。
1955年の「ラッセル・アインシュタイン宣言」に署名した11人の一人で、57年に核廃絶を目指す科学者の連帯「パグウオッシュ会議」を創設し、95年にこの会議と共にノーベル平和賞を受賞しました。
今年、広島で行われたパグウオッシュ会議にも出席の意向を示していたそうですが、入院中のためかなわなかったそうです。
核開発に携わった人が、みんな博士のような人ばかりだったとしたら、広島・長崎の悲劇は起こらなかったのではないかと思います。
心よりご冥福をお祈りします。