元気な父、健康だったはずの父はもう居ない。
その夜、
実家の近所の方から電話が来た。
出先で倒れた父が救急車で病院に運ばれ、母も病院に急行した・・・という連絡だった。
それからあまり間をおかずに、病院に着いた母から連絡が入った。
母からの電話は静かで低い声だった。
「いま、処置をしているところだけれど、部屋の外に出されたのでどうなっているかわからないの。また連絡するから待機していてね」
受話器を置き、小学生だった息子にどう話したか記憶に無い。
母からの2度目の電話
「もう、だめなんだって・・・だめだったの。だから慌てないで落ち着いて来るようにしなさいよ」
その声は、少しかすれていたようだったがやはり静かで低かった。
どんな準備をしたかは鮮明に覚えている。
息子が所属していたサッカークラブの世話役をしていた私は、
翌々日に控えたクラブの運動会の手配を引き継がなければならなかったから、
延々と何本もの電話をかけ続けた。
父の命が消えた・・・という悲しみに溺れる隙はゼロ。
帰省のため準備をしつつ、考えていたこと・・・最後に会ったのはいつだっけ・・・
ああ、両親が揃って出掛けた旅行の帰途、東京駅で乗り換える…と聞き、
孫の顔を見せてやりたくて息子と二人で会いに行った時。
3ヶ月前のあの姿が最後、わずかな時間だった・・・
じいじ、ばあばへの孝行と思って東京駅まで行ったけれど、
あれは私のための時間だったんだ・・・。
がんになっても、手術を受け、様々な治療をしつつ生きている私。
晩年、胃潰瘍を患ったものの、それ以外は元気だったのに心不全で突然逝った父。
どうなるか、先の事なんて分からない。
「後悔先に立たず」か・・・もう一度、飲みに行きたかった、二人で・・・
世の中の照れ屋さん、娘、息子のみなさま、わざわざ親に電話するのはチョッと・・・ですか?
「昨日、父の日だったから・・・」とか、
「もうすぐ誕生日だよね・・・」とか、
「別に用は無いんだけど・・・」などなど・・・口実はいくらでもあるでしょ?
もうこの世には居ないお父さんへは、想いを馳せてみましょうよ
その夜、
実家の近所の方から電話が来た。
出先で倒れた父が救急車で病院に運ばれ、母も病院に急行した・・・という連絡だった。
それからあまり間をおかずに、病院に着いた母から連絡が入った。
母からの電話は静かで低い声だった。
「いま、処置をしているところだけれど、部屋の外に出されたのでどうなっているかわからないの。また連絡するから待機していてね」
受話器を置き、小学生だった息子にどう話したか記憶に無い。
母からの2度目の電話
「もう、だめなんだって・・・だめだったの。だから慌てないで落ち着いて来るようにしなさいよ」
その声は、少しかすれていたようだったがやはり静かで低かった。
どんな準備をしたかは鮮明に覚えている。
息子が所属していたサッカークラブの世話役をしていた私は、
翌々日に控えたクラブの運動会の手配を引き継がなければならなかったから、
延々と何本もの電話をかけ続けた。
父の命が消えた・・・という悲しみに溺れる隙はゼロ。
帰省のため準備をしつつ、考えていたこと・・・最後に会ったのはいつだっけ・・・
ああ、両親が揃って出掛けた旅行の帰途、東京駅で乗り換える…と聞き、
孫の顔を見せてやりたくて息子と二人で会いに行った時。
3ヶ月前のあの姿が最後、わずかな時間だった・・・
じいじ、ばあばへの孝行と思って東京駅まで行ったけれど、
あれは私のための時間だったんだ・・・。
がんになっても、手術を受け、様々な治療をしつつ生きている私。
晩年、胃潰瘍を患ったものの、それ以外は元気だったのに心不全で突然逝った父。
どうなるか、先の事なんて分からない。
「後悔先に立たず」か・・・もう一度、飲みに行きたかった、二人で・・・
世の中の照れ屋さん、娘、息子のみなさま、わざわざ親に電話するのはチョッと・・・ですか?
「昨日、父の日だったから・・・」とか、
「もうすぐ誕生日だよね・・・」とか、
「別に用は無いんだけど・・・」などなど・・・口実はいくらでもあるでしょ?
もうこの世には居ないお父さんへは、想いを馳せてみましょうよ
あなたの素直な心が伝わってくるメッセージに、
私のほうこそ胸が熱くなりました。
悔いなく生きるのは、本当はとても難しいことです。
それでも、どうせ生きるのなら、
あなたの言う通り一生懸命に生きたほうが良い時間を過ごせます。
泣いたり、笑ったり、走ったり、転んだり、立ち止まったり、歩いたりしながら・・・
あなたの日々を生きてください!
病気を患っても一度の人生悔いなく元気に過ごせることを願ってます。
私は小さい頃から両親が離婚し、父と遊んだ記憶がありません。でもこの世界どこかに父はいる、父と会える日を夢見て毎日一生懸命生きたいと思いました。ありがとうございました。