健康には菜耕! 

北海道に生まれ育ち、四季折々大地の恵みと自然美豊かな充実の日々
道内をめぐり未知の世界を発見できることに、ただ感謝!

篠路開拓、あいの里の地名由来、宮西頼母の碑

2012-10-24 | さっぽろ・ふるさと文化百選

きょうは、ちがった目的地を尋ねてみた。あと九十九ケ所をボチボチと回ってみたい。

                     

さっぽろふるさと文化百選  その58

この百選は、国、道、市により指定された文化財及び「開拓の村」の建物については除かれている、あまりメジャーでない文化財だ。

今回取り上げたのは、北区篠路町にある藍栽培ゆかりの地で、これが「あいの里」という地名の由来。  

                                                                       頌徳碑案内標

この碑は、頌徳碑と称し、塚本五郎を顕彰して建立されたものなり。塚本五郎は天保七年一月二十四日徳島県に生まる。明治十五年北海道に移住。篠路に於いて未開の地九百二十四万平方米の払い下げを受け、実弟阿部興人等と篠路興産株式会社を設立し、郷里より引率したる農民と共に開拓に努む。その間、諸種の災害に遭うも屈せず藍の栽培を試み成果を収め、博覧会等にて賞を受け、篠路の開発に多大の功績を残せり。明治三十二年十月九日病没。享年六十四才。翌年同郷人諜り、手稲方面より碑石を運び之を建つ。昭和十四年現在地に移設す。碑文は侯爵蜂須賀茂昭の揮毫なるも、永年の風雪にて殆どが消え去る。時に今年開道壱百年に当りこれを記念し開拓の功績を後世に伝えん為、有志相謀り之が標を建立す。

昭和四十三年八月十日

                                                             開拓記念碑

案内標建設期成会


 

同じ地に「宮西頼母氏歌碑」がある。昭和四十三年宮中歌会始入選歌 氏は、大正七年現地拓北に生まる。

 

 

チモシーの 禾積み終えし土手のうへ 石狩川は 波立って見ゆ   頼母

                                                 昭和四十三年八月十日

                                                                    開拓記念碑案内標建設期成会


そのあと、いつものコースを歩いてみると(11,660) 藤棚の枝落としが大分すすんでいる。  

左半分が未選定、右が丸坊主になった剪定後。


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