エブリィで行く日本一周

仕事をリタイヤして車で、ぶらぶらと気軽な日本一周の旅に出ます。

吉備路

2015-01-17 08:20:51 | 日記
今日は仕事が休みの友達と久しぶりに吉備路へドライブしてきました。
まずは鬼城(きのじょう)ネット情報を添付しました。
桃太郎説話や「温羅(うら)伝説」の舞台として、古くから親しまれてきた鬼ノ城(きのじょう)。その築城の目的については、663年の白村江(はくすきのえ・はくそんこう)の戦いにおける敗北から、唐・新羅(とう・しらぎ)の連合軍が本土に侵攻するのではないかと危機感を抱いた当時の政権が、西日本各地に築かせた古代山城の一つであるという説がよく知られています。しかし鬼ノ城は、『日本書紀(にほんしょき)』などには一切登場せず、築かれた時期についても様々な説があり、未だ多くの謎に包まれた遺跡です。

その後、足守街並み保存地区へあいにく資料館などは休館日でブラブラ散策してきました。
足守藩主木下家は、平氏の出身でもとは杉原と称していました。杉原家定は織田信長の家臣でしたが、妹の「ねね」は、木下籐吉郎(後の羽柴秀吉・豊臣秀吉)に嫁ぎ、秀吉の天下人に伴って「北の政所」となりました。このため、ねねの実家が秀吉一族として木下姓を名乗ることを許され、さらに豊臣の称号も与えられました。
 関が原合戦に際して、2万5千石を領有して姫路城主であった木下家定は、北の政所を守護して中立を採り、合戦の後の慶長6年(1601)3月27日に、同じ石高で備中国足守に所領替となりました。ここに足守藩主木下家が始まり、一時中断があったものの、家定の子孫が明治維新まで13代にわたって藩主として、足守陣屋町の整備に尽力しました。

最後は定番の備中国分寺へ ここではもう菜の花が満開でした
聖武天皇の発願によって創建された国分寺の一つです。建物は南北朝時代に焼失したと伝えられ、現在の建物は江戸時代中期以降に再建されました。境内にそびえる五重塔は、県内唯一のもので吉備路の代表的な景観となっています

鬼城













足守街並み保存地区











備中国分寺










消防出初式

2015-01-15 15:09:35 | 日記
1月11日に知人に依頼されて出初式の撮影に行ってきました。
芦田川の河川敷での撮影、冷たい風が吹き抜けてとっても寒い一日でした。
消防団の行進、車両行進、式辞や祝辞など2時間疲れました。

最後に梯子の上での木遣の演技に感動しました。

出初式




















































尾道 西国寺火渡り神事

2015-01-14 13:16:49 | 日記
先日8日に西国寺の火渡り神事に行って来ました。
寒い中、沢山の人が訪れていました。山伏姿の坊さんが神事を行い火渡りの開始です。

燃え盛る火の中を行者が渡り火を落として信者さんが渡ります。

帰りに寄り道をして三原の筆景山の展望台からの瀬戸内海の多島美を堪能。

西国寺













































三原筆景山






あけましておめでとうございます。

2015-01-04 09:55:42 | 日記
あけましておめでとうございます。
昨年は、沢山の人に訪問していただきありがとうございました。
今年も不定期ですがアップして行きますのでよろしくお願いします。

大晦日の夜中から元旦の昼まで地元の神社の元旦際に役員として参加して10数年
今年ほど寒くてキツイ年はありませんでした。
雪が降ったり止んだりして朝方には雪景色、おかげで参拝者も少なく残念な年明けでした。

今年最初の旅(?)は尾道千光寺に天気も良く初詣の人で溢れてました。
車で登り 歩いて文学の小道や猫の道を通り下って来ました。

地元の神社



千光寺