(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

新潟(上沼垂?新津?)の14系ハ・ハフ回送

2013年02月17日 | ぎゃらりぃ「チラ裏」
ポジ箱の蓋を開け、スリーブを広げると
記憶から消えたぁゃιぃ原版が目を覚ます。

'99年の冬シーズン(1~3月)は
西の客レ「信越方面」シュプール最後の年ってこと等
(大糸線方面は2001年ぐらいまで残る)
ネタがフンダンにあったので
何やら色々と見つけて、勤務指定と相談しては
上信越地区の色んな所に出掛けて撮っていた。
そんな記録のひとつが、同年1月19日の撮影とある
EF64 1052牽引の新潟支店管内某区所々属の
14系座席客車8連の回送。
記憶?では新潟県内の学校だかの団体で組まれた列車の
その車両回送列車だったような。
某区所というのも上沼垂の筈なのに「ニツ」
つまり新津の所属になってるので
さて、本当はどっちだったべ?ということで
後日機会があれば改めて調べることにしたからだ。
(いわゆる『半永久的な棚上げ』w)


画面左端、知ってる人はご注目。
線路際で撮影してる人間が一人もいない。
尤も、このときはこの列車を撮影してたのも
ゆいつ俺一人だったようなそんな覚えがあるから
いなくて当然だったかも。
しかも「渋川で機関車機回し」とか
記憶にないメモが残っていたり。
当時まだ渋川では貨物扱いをやっていたので
カマの機回しはできなくはなかったが…
何で高崎でそれをやらなかったのか
今は諸般の事情という言葉もあるが、ちょっとよく分からない。
いずれにしても午後の撮影で天気も良くなかったし
ここから北に上がっても撮れないって判断したので
それで大正橋東詰の辺りに三脚を立てていたのだと思う。

ちなみに新潟支社所属の「操配用」と呼ばれた
大口団体向けの14系座席客車
(俗にハ・ハフともハザともいう)は
これを撮ってすぐ後ぐらいに全車除籍になる。
またそれ以前には12系座席客車も12、3両いたが
これを撮影する2年半ぐらい前の'96年に
同様の処置が執られて消滅していた。

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