(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

新潟の夏は暑い

2019年02月12日 | ▲EF62・EF64▲遥かなる山の呼び声▲甲信越・中央東線▲
 2000年の7月30日、"見回り"のつもりで出掛けた新潟・上越平野は鬼のように暑かった。最高気温は37℃越え、30分も立っていればぶっ倒れると思われた撮影行。
 脇野田で中望遠と広角の二挺拳銃で待っていた中、14+44の重連がセメントタキ車を牽く5374レが現れた。当日はデンカ×3+住セ×4+デンカ×8の15両編成。

中望遠で。


こちらは広角アングル。

 暑さで倒れる前に急いで機材を畳み、脇野田の駅で続行する長野行き電車に乗った。二本木で5374レは対面の下りセメント貨物列車の5373レと交換のため40分以上の長時間停車をするのだ。その間にこちらは関山~二本木間、五反田の踏切(=松崎の対面アングル)に移動して機材を再度拡げる。
 1600時過ぎに5374レは二本木を出て、黒姫駅をサミットとする峠越えの25‰勾配に挑む。重量で言うと900㌧近く、駅から相当離れたここ五反田踏切にも結構響いてきた。

2発目。風が強いので葉っぱがみんな裏返っている

 空気が乾いてて脇野田よりも全然涼しいと思ったら、聞けば当日の妙高高原の最高気温は34℃だったそうで。幾らか山に昇ったせいかと思っていたが、よくよく考えてみたらフェーン現象で吹き降りてきた風が涼しさを運んできてたのかもしれない。
 しかしどっからどうやって脇野田から二本木・五反田に移動したか、そっちの方がどうも思い出せない。当時は路線バスもあったし行灯クラウンもいて、色々アクセスの方法があったのでそれを駆使したように思うが、何せこの件をまとめるのは初めてに近くて、それまでに大事なことを忘れてしまったようだ。めんどくさいが、撮影日のカレンダーから調べて思い出すことにしよう。

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