(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

The hands of almost are lost

2006年05月10日 | 日々雑感
昨日、ネカヘから帰りの帰りに
下○塚の駅そばの古本屋で気になるのを立ち読みした。
紀尾井町のアレな出版社が出した30年以上前の
週刊誌の増刊で、旧海軍関連の貴重な写真を載せたヤツである。
その中で気になって、店主そっちのけで読んだのが
瀬戸内海で訓練中の事故で沈んだ潜水艦の記事だった。

伊33。伊15型に始まる、通称『乙型』
(艦内にセスナみたいな小型偵察機と、その格納庫・カタパルトを備えた)
と呼ばれたタイプの1隻のようだ。
訓練のために出航したものの、
整備不良のため、沈んだまま海底から自力で浮上できず
意を決した艦長がハッチを開けて艦の中の兵士を逃がそうとしたという。
結果、生き残ったのは二人だけ。
あとには死屍累々と戦死者の骸が残った。

戦後の昭和28年夏、
伊33は9年ぶりに海上に引き上げられた。
魚雷発射管室が浸水していなかったため、艦が絶えずぐらついたのと、
折からの土用波に手こずったのとで、かなり時間がかかった。
引き揚げられた艦内からはおびただしい数の骸骨が、
浸水のなかった発射管室からは冷凍状態の戦死者の骸と
濡れても読めるよう油紙で包まれた、遺書の山がでてきたという。
またこの特集では、このとき艦内で撮影された
骸骨と戦死者の遺体の写真がふんだんに使われている。
今なら自主規制とかって載せるのを躊躇うとこだが
そこが当時のマスコミたる、紀尾井町の出版社のすごいトコか。
(いつかのフライデーにあった、大阪刑務所の天井からさがった首吊りの輪の写真もトラウマになりそうだったけど、実際の遺体にゃ適わないわけで)
最後は、引き上げられた艦に
花を手向ける遺族の娘さんの写真で、この特集は結ばれていたが
何というか…。

ゆっとくが、これをみたからって
『戦争反対』をアレする気になったとか
そういう意図は一切ない。
戦時中、ってか戦線の後方で起きたモノとはいえ
あくまでも一件の海難事故だからだ。
尤も沈んだのが臨戦態勢の軍艦だから、
当時は公にされることすらなかったが。
ただ、現代でも似たようなケースで起きたのが、
場所を変えた形で実際にあったりするわけで
後に残った人間は、以降このような損失がなきよう、
十分な対策を施さねばならないと考えるのだ。
なお、魚雷発射管室で亡くなったとされるある士官は
「地上員との連絡を密にして、整備にあたるべき」と
遺書の中にこうしたためていたという。

(参考文資料ページ)
http://www.aka.ne.jp/~deguchi/hobby/japan/j_ship/i.html

(8/26日付け参考追加)
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senki-i33-konisi1.html

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