(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

スハ32でWikipediaを捲ってるうちに

2014年04月20日 | 5ch】続・今日のおまいら【SNS各所
 こんな過去ログを見つけた。

子供の頃思わず泣き出した車両
http://mimizun.com/log/2ch/rail/1141987993/与利

194 :名無し野電車区:2006/03/26(日) 13:59:58 ID:gfVUGqdD

スヘセ30
駅で停車中木のブラインドの隙間から車内が見えたんだけれど
鉄格子どんどん叩いているおじさんと目が合って表情のあまりの異様さに大泣きした。
その向こうには生気の無い幽霊のような顔した無表情のおじさんが
どこにも焦点の合わない目でじっとしていた

195 :名無し野電車区:2006/03/26(日) 14:14:12 ID:KRo1QQrD

>>194
実在していたのか

 というお話だったとさ(どっとはらい)
 なら良かったけれど、残念ながら実在したようで。(年次毎の在籍両数も「病客車」で検索すると一覧が…)
 殊に、スヘセ(セは右肩に小文字)車には「保護室」なるもの、表現は体よくしてあるが、ぶっちゃけて言うと「閉鎖病室」、戦地で気が触れた方を収容して護送する客室ね。所謂走る松沢病院。それが設置されていたそうで。
 本来なら触れたくない話だが、ぶち当たった以上は、行けるとこまで。しかし、よく出来た「ネタ」だなあ・・・落ち着いて考えれば、教科書に墨塗りした世代が2ちゃんにネ申として出てきて話を振るなんて、余程のコンピューターお爺ちゃんお婆ちゃんでなきゃ無理な訳で。
 そのうち「猪鼻トンネル手前でP-51に撃たれますた。」とか、化けて出てくるギミックとか背負ってきそうで、嫌だよぉ。
 スハ32系ってだけで括っても一族郎党あんなにいたとは思わなくて、三軸台車の一等展望車から果てはスエに至るまで見てったら、頭が痛くなってきた(´・ω・) 
 まさに昭和の光と影の黙示録。毒を食らわばなんとやら、次はオハ35系の一族も。アレには俺も中学3年まで世話になったんで、是非、見ておかないといけないな。

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