(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

93レを追っかける

2018年06月09日 | ★★★┃ ロ┃ED75総合 |★★★
 付帯作業のついでに虫干し、それと今から10年以上前の、この巣の過去ログを漁って、思い出してみる。
 2006年6月、仕事も金失もうまい具合にいかなくて鬱屈しかかっていた時にたまたまネットを見てたら、1034レが夕方の盛岡タ行き下りタンカー列車を牽いたと出ていた。どういう運用だったかは昔の時刻表に出てると思うが、兎に角撮影日前日には常磐線に入線、いわきを早朝に出ていく93レの本務機となって青森信号場まで下ることになっていた。
 現地までは東北急行の仙台駅前行きバスで出掛けたか、その切符が取れなくて前日最終のカンセンで仙台入りして、ネカヘ○ヨ(一泊)したか。何とかしなきゃと仙台まで出ていったのは間違いない。
 93レを追っかけるには、そこから455系の初電521Mで下るとこまで下って1回撮ってから、仙台駅に戻って3001B"はやて1号"→4001M"スーパー白鳥1号"乗り継ぎで野辺地まで出て、また行くところまで行かなくてはならない。なんと壮絶な金の無駄遣い。しかし、これぐらいぶあっと派手にやらなければ、自分の惨めな気持ちが晴れなかった。
 1発目、現地0658時通過。所定は0700時丁度ぐらいなのだが、牽引機が牽引機なので早通。2エンドに軽トラ事故のアバタを貰ったとは思えない走りっぷり、流石調子のいい機は違う。恐ろしい(拍手しながら)。
 2発目、上り"ガンダム"485系3000代の「白鳥」が通過していった直後。相変わらず速い、1分早通。八戸貨物で前補機を解放してもなお爆走する1034。「スゴいのはやっぱりスゴいんです!」という武豊の名言が脳裏に浮かぶ。感動のあまり、目から汗が流れ落ちてきた。





 撮影後はもう、満足。大枚叩いて青森まできた甲斐があった。お陰様で元気をもらって、また仕事に打ち込み金失に飛び回れるようになったのは、過去ログ見ての通り。
 それにしても、1034が踏切事故で凹んでもあれだけ走れたのは、時期とか事情とかが色々背景があったにせよ、持って生まれた「運の強さ」とかでは語れない何かがあったと思う。後に2007年7月5日の全検出場を迎え、震災後の運用終了まで無事故で走りきる訳だが、あの10年間の活躍は素晴らしかった。

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