🔲めめんと青森🔲
古いことわざに、「世にある無数の生は無数の死によって支えられていることを肝に銘ぜよ。メメント・モリ(汝、死を思え)!」とある。空前の「終活」ブームである。
2000年には見向きもされなかった「エンディングノート」は今や本屋で市販もされている。保険会社や金融機関の「相続税セミナー」や「成年後見人制度勉強会」はいずれも盛況である。
高度経済成長期において、死は忌避されて生活から切り離されきた。そのことは住居構造を見れば一目瞭然である。家族の死を前提に設計されてないのである。
1985年あたりから潮目が変わって来た。上智大学名誉教授のアルフォンス・デーケン先生が「死生学」を開設したりして、終末期医療(ターミナルケア)を巡る現場で「死を拒否すること」から「死を認める」へ変化してきた。
病院やホームで亡くなる人が今や90%近くになる。日常生活から死が見えなくなりつつある。国は医療費抑制で自宅での看取りをすすめるが支える家族すらいないのが現状である。
少子高齢化で多死社会に入り、ベルトコンベヤー式に目の前を通過する死を現代人は当事者として自らの死を考えてみる必要がある。我思う、ゆえに我あり。
縄文三内丸山遺跡からは死者たちを懇ろに葬った墓地も発掘された。特に子供の遺体を納めた甕棺には、魂が戻ってくるようにと穴が空けられていたという。
死を見つめることは、よく生きることにつながる。まもなく、東日本大地震から12年目の春を迎えるが、余震はまだ続いている。心の中でも…。