江花和郎@ブログ

2005~2011年連合新潟会長を務める間書いたブログをその後も時々更新しています。

原発

2011年08月09日 | 東日本大震災
菅直人の脱原発会見の反動で、最近は原発推進派が巻き返し、一部マスコミと経済界の「原発がないと日本経済は沈没する」「原発以外では電力の安定供給はできない」といった主張がかなり浸透してきています。
毎日新聞は先週8月2日(火)~4日(木)にかけて3日連続の社説で原発から再生可能エネルギーへの転換を提言しました。
この問題について考えていることの一端を書いてみようと思います。

(1)産業より生命が大事だ
「原発は危険だ」ってことが皆に分かってしまいました。
安全神話をつくり上げ、札束攻勢で原発立地を進めてきましたが、今後新たな原発建設は地元の反対で無理でしょう。
となれば、今ある原発が耐用年数を終えて廃炉になり、いずれ日本から原発は無くなるのです。
毎日新聞8月2日社説「原子力政策 危険な原発から廃炉に 核燃サイクル幕引きを」

自然界に存在しない危険な放射性物質を人為的に作り続ける原子力利用。
その危険な物を管理する方法も、システムをコントロールする技術も確立されていません。
福島原発の現状がそれを証明しています。
今運転中の全国の原発は、本当に安全に廃炉までもっていけるのでしょうか。

安全だと信じ込まされ、交付金と雇用で原発を受け入れた自治体・住民は、原発ですべてを失うことを知りました。
福島から避難させられ家に帰る見込みの立たない大勢の人たちを目の前にして、今なお原発が必要だと主張する人たちは、被災者の哀しみや悔しさにどう向き合うつもりでしょうか。
子どもたちへの影響を日々心配する福島の親たちの不安を考えたことがあるのでしょうか。

産業経済のために原発が必要だと主張する人たちがいます。
危険だと分かっているのに、産業界のために必要だと言い張っています。
人間の生命よりも、産業経済を優先することが長年行われてきました。
高速鉄道事故を起こした中国と同じです。
公害を繰り返してきた産業界の懲りない面々の言うことを信じますか?

(2)原発以外で電力を安定供給することを本気で考えよう
産業界に電力を安定供給するには、本当に原発でなければならないのでしょうか。
2011年8月3日毎日新聞社説「再生可能エネルギー 原発代替は十分可能だ」

LNG火力で二酸化炭素の発生を抑制する技術研究が進んでいるとも聞きますが、どうなんでしょう。
自然エネルギーでは安定供給は難しいと当り前のように語られていますが、本当にそうなんでしょうか?
スマートグリッドで電力需給の最適化をはかるシステムが進めば、多様なエネルギー源を有効に使えるという理解が広がりつつありますが、同時にこれにブレーキをかける人たちもいます。
風力や太陽光はうまくいかないと盛んに宣伝する人もいます。
原子力に投入してきた大量の資金を新しいエネルギー技術開発に回したら、様々な可能性が広がると思いますが。
風力発電システムは産業としても裾野が広く、新たな国内産業を起こし雇用を創出すると言われていますが、そういった話はたまに小さく扱われるだけです。

(3)原発はコストが高い
原発を止めたら電気料金が高くなって日本の産業は国際競争力を失うという話がまことしやかに語られていますが、原発は本当に安いのでしょうか?
これは諸説紛々で、電気事業連合会のデータでは原発の発電コストが一番安いけど、稼働率80%、運転年数40年で計算していて実際の稼働率60%前後だと火力と変わらなくなります。
これに廃棄物処分や廃炉の費用を加えると火力より高くなるのは当然です。
また開発や立地に国が投じた多額の経費を加味していません。
電気料金に跳ね返らなくても、国民は税金で原発コストを負担させられているわけです。
しかも今回のような事故処理や補償費は含んでいませんから、事故の損害を考えたら原発はべらぼうにコストが高いことになります。

イデオロギーで賛成・反対を言っている場合ではありません。
目の前に起きている現実を直視して、都合の悪い情報もすべて出して議論していくべきです。
これまで推進派だった自民党や保守勢力の中にも、原発をなくすことを前提に代替エネルギーの開発や次の社会を考えてみようとする人たちが多くいます。
事故を見ても原発が安全だと言い張るのはイデオロギーでしかないでしょう。


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「非現実的な夢想家」 (応援団)
2011-08-12 11:46:13
村上春樹氏/カタルーニャ国際受賞式スピーチから一部抜粋
『戦後長いあいだ日本人が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょうか。私たちが一貫して求めてきた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?
答えは簡単です。「効率」です。原子炉は効率の良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を抱き、原子力発電を国の政策として推し進めてきました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。
そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、この地震の多い狭く混み合った日本が、世界で3番目に原子炉の多い国になっていたのです。まず既成事実がつくられました。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくなってもいいんですね。夏場にエアコンが使えなくてもいいんですね」という脅しが向けられます。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。
そのようにして私たちはここにいます。安全で効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けたような惨状を呈しています。
原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかったのです。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。
それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、私たち日本人の倫理と規範の敗北でもありました。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」私たちはもう一度その言葉を心に刻みこまなくてはなりません。私たちは夢を見ることを恐れてはなりません。理想を抱くことを恐れてもなりません。そして私たちの足取りを、「便宜」や「効率」といった名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。私たちは力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」になるのです。
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