本日、連合新潟の副事務局長(現職)若杉幸雄さんがお亡くなりになりました。あまりにも若い享年59歳でした。
昨年12月初めに入院、3月末に退院してがんと闘いながら仕事を続けていたのですが先週再入院。本人は最後まで早く仕事に復帰することを願っていたということです。
春に退院してから、若杉さんは仕事に打ち込むことに生きる目標を見出そうとしていたようでした。
周囲の気遣いは無用という感じで、一人前に扱われることを望んでいたように思われます。
ですが夏以降は徐々に体力の衰えも見え、辛そうな様子もありましたが、自分自身を元気づけるようにご本人は大きな声で仕事を続けておられました。
若杉さんと私の出会いは20年前に遡ります。県議会議員の新人候補を担ぐことになって、当時は情報労連と高教組が労組選対を組んだのですが、情報労連から若杉さんが、高教組からは私が選対に派遣されて一緒に仕事をさせていただきました。
以来、若杉さんが長野勤務の時期もありましたが、いろんな場面でご指導をいただき、再び連合で一緒に仕事をすることになってちょうど5年になります。
じっくり相手の話を聞いた上で、自分の意見もはっきりと述べる。経験を活かした的確で冷静な判断力、困難な課題でも着実に処理していく実行力、任務に当たっての周到な準備。在りし日の若杉さんを思い起こしてみるとこのような印象です。
先ほど、ご自宅にお悔やみに伺ってきました。若杉さんのお顔は本当に安らかでした。最後まで精一杯生きられたのでしょうが、こんなに急に亡くなるとは、奥様の驚きと悲しみは如何許りかとお察しします。
心からご冥福をお祈り申し上げます。合掌。
なお、お通夜は10月18日(水)午後7時から、葬儀は10月19日(木)午前9時から、いずれも「セレモニーホール青山会堂」(新潟市青山8-4-15)で執り行われます。
昨年12月初めに入院、3月末に退院してがんと闘いながら仕事を続けていたのですが先週再入院。本人は最後まで早く仕事に復帰することを願っていたということです。
春に退院してから、若杉さんは仕事に打ち込むことに生きる目標を見出そうとしていたようでした。
周囲の気遣いは無用という感じで、一人前に扱われることを望んでいたように思われます。
ですが夏以降は徐々に体力の衰えも見え、辛そうな様子もありましたが、自分自身を元気づけるようにご本人は大きな声で仕事を続けておられました。
若杉さんと私の出会いは20年前に遡ります。県議会議員の新人候補を担ぐことになって、当時は情報労連と高教組が労組選対を組んだのですが、情報労連から若杉さんが、高教組からは私が選対に派遣されて一緒に仕事をさせていただきました。
以来、若杉さんが長野勤務の時期もありましたが、いろんな場面でご指導をいただき、再び連合で一緒に仕事をすることになってちょうど5年になります。
じっくり相手の話を聞いた上で、自分の意見もはっきりと述べる。経験を活かした的確で冷静な判断力、困難な課題でも着実に処理していく実行力、任務に当たっての周到な準備。在りし日の若杉さんを思い起こしてみるとこのような印象です。
先ほど、ご自宅にお悔やみに伺ってきました。若杉さんのお顔は本当に安らかでした。最後まで精一杯生きられたのでしょうが、こんなに急に亡くなるとは、奥様の驚きと悲しみは如何許りかとお察しします。
心からご冥福をお祈り申し上げます。合掌。
なお、お通夜は10月18日(水)午後7時から、葬儀は10月19日(木)午前9時から、いずれも「セレモニーホール青山会堂」(新潟市青山8-4-15)で執り行われます。