前回の続きです。
●新潟県中越地震(2004年10月23日)
それまではボランティアセンターの要請に対応する活動でしたが、この時は労働組合のメンバーにどんな活動参加を提案できるか考えました。
山古志村が全村避難した長岡市内の8ヵ所の避難施設の管理・運営を連合のボランティアで引き受けることにしました。
避難者が仮設住宅に移るなどして避難所が閉鎖するまで11月4日~12月20日の間に、延べ1,654人のボランティアがこの活動に参加しました。
避難所支援は頻繁に人が替わるのはではなく、ある程度継続してその場に慣れ被災者と信頼関係ができればよりよい運営ができますし、被災者の皆さんも安心感があると思います。
ですから各避難所ごとに責任組織を決めて、その組織(産別)が1週間交代の滞在型で任務にあたりました。
いったん引き受けたら穴を空けれないので、組織対応型のボランティアは適していたと思います。
同じ組織が引き継ぐので、集落の皆さんからの信頼感は着実に積み上がり、また独自にマニュアルを整備し週毎に「改善」しながら引き継がれるなど、労働組合の自主性・積極性も発揮されました。
組織ボランティアの優位性を活かした活動だったと思います。
(なお、これは労働組合の支援活動のほんの一部で、この何十倍もの取り組みが行われたことを念のため付記しておきます)
●東日本大震災(2011年3月11日)
先日(4月17日)のブログに書きました。
http://blog.goo.ne.jp/e-bana/e/c1b68570e7aaf9d8ad908e3ab7cec68f
私は中越地震のとき、長岡・小千谷・川口・十日町のボランティアセンターを回ってみて、みんな違うと思いました。
ボランティアセンターは社会の縮図です。
そこに集まった人たち、現地の事情によって対応は変化します。
連合がそこに関わろうとするなら、その社会の一員になる覚悟が必要です。
ボランティアの「現場」で活動する時も同じです。
ただ瓦礫の撤去のようなチームに任されたような作業の現場では、組織性は大いに役立ちます。
今回も連合のチームが東北各地でその特徴を生かして活動しています。
●新潟県中越地震(2004年10月23日)
それまではボランティアセンターの要請に対応する活動でしたが、この時は労働組合のメンバーにどんな活動参加を提案できるか考えました。
山古志村が全村避難した長岡市内の8ヵ所の避難施設の管理・運営を連合のボランティアで引き受けることにしました。
避難者が仮設住宅に移るなどして避難所が閉鎖するまで11月4日~12月20日の間に、延べ1,654人のボランティアがこの活動に参加しました。
避難所支援は頻繁に人が替わるのはではなく、ある程度継続してその場に慣れ被災者と信頼関係ができればよりよい運営ができますし、被災者の皆さんも安心感があると思います。
ですから各避難所ごとに責任組織を決めて、その組織(産別)が1週間交代の滞在型で任務にあたりました。
いったん引き受けたら穴を空けれないので、組織対応型のボランティアは適していたと思います。
同じ組織が引き継ぐので、集落の皆さんからの信頼感は着実に積み上がり、また独自にマニュアルを整備し週毎に「改善」しながら引き継がれるなど、労働組合の自主性・積極性も発揮されました。
組織ボランティアの優位性を活かした活動だったと思います。
(なお、これは労働組合の支援活動のほんの一部で、この何十倍もの取り組みが行われたことを念のため付記しておきます)
●東日本大震災(2011年3月11日)
先日(4月17日)のブログに書きました。
http://blog.goo.ne.jp/e-bana/e/c1b68570e7aaf9d8ad908e3ab7cec68f
私は中越地震のとき、長岡・小千谷・川口・十日町のボランティアセンターを回ってみて、みんな違うと思いました。
ボランティアセンターは社会の縮図です。
そこに集まった人たち、現地の事情によって対応は変化します。
連合がそこに関わろうとするなら、その社会の一員になる覚悟が必要です。
ボランティアの「現場」で活動する時も同じです。
ただ瓦礫の撤去のようなチームに任されたような作業の現場では、組織性は大いに役立ちます。
今回も連合のチームが東北各地でその特徴を生かして活動しています。
残念ながら受付におりましたので直接お伺いできなかったのですが、このブログでそのさわりを聞かせていただけたように思います。
先日は1日だけですが災害ボランティアに参加させていただきました。
三条水害、中越沖と個人で参加してきましたが、そのとき県外から大勢の方が来られていたことを思い出します。
翻って幾度か県外での災害の話を聞き、いざ…と思っていたのですが、実際はなかなか動けない自分に気づきました。
連合の活動は、少なくとも自分の足を動かすきっかけの一つになったのだと思います。