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岩倉具視、暗号表を駆使…重文級史料が数万点

2014-02-03 18:45:18 | 社会
岩倉具視、暗号表を駆使…重文級史料が数万点
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2014年2月3日
読売新聞

京の塾跡で見つかる

 明治新政府の中枢で活躍した岩倉具視ともみ(1825~1883)が西南戦争で使用した円盤状の暗号表や、徳川15代将軍・慶喜が新政府軍に江戸攻撃中止を求めた直筆の哀訴状など重要文化財級の史料が、京都市内で見つかった。江戸時代後期の本草ほんぞう学者・山本亡羊ぼうよう(1778~1859)の主宰した塾「山本読書室」跡(京都市下京区)の土蔵を松田清・京都外国語大教授(日本洋学史)が調査し、数万点の史料を確認、目録にまとめた。

 同塾は本草学(博物学)の一大拠点として1811~1903年に開設。全国から集まった門人が医学や儒学などを学んだ。

 読書室跡の土蔵は2階建ての約100平方メートルで、松田教授が2011年から土蔵内部を調査。書籍・古文書類約6000件、書画類約1000件のほか、博物標本などを確認した。このうち、岩倉関連の史料は数百点あり、亡羊の孫・復一が岩倉の秘書を務め、伝記「岩倉公実記」の編集に携わったことから、保管されていたとみられる。

 暗号表は、「イ」「ロ」「ハ」などのカタカナを書いた大小2枚(直径12センチと10センチ)の紙製の円盤を重ねたもので、小さい円盤の文字を大きい円盤の文字に変換する仕組み。暗号が見破られないよう文字変換のパターンは5通りある。

 この暗号表を使って岩倉が大久保利通らと交わしたとみられる秘密通信文61通も残されていた。1877年の西南戦争の際に宮崎県で情報収集した新政府が反乱士族について「(士族の一部は)ハンシン(反乱の気持ち)アレドモ動カズ」と発信した電報もある。

 また、将軍・慶喜が1868年3月、新政府軍による江戸攻撃を前に、罪のない民衆に危害を加えないよう攻撃中止を求めた直筆哀訴状も確認された。書写され、回覧された書面は知られていたが、直筆の確認は初めてという。

 さらに、菅原道真直筆の可能性のある9世紀の写経のほか、鎌倉時代の源氏物語写本や歌人・藤原定家直筆の文書、豊臣秀吉の側室・淀殿が記したとみられる書状、江戸時代の極楽鳥の標本なども見つかった。

 松田教授は「これまでに例のない新史料の発見。中でも明治維新関連の史料が多数含まれており、今後、新たな事実の解明が期待される」と話している。

 佐々木克・京都大名誉教授(日本近代史)の話「山本読書室跡には多くの岩倉関連史料があると、推測はしていた。岩倉の伝記編集のために収集した史料の一部と考えられる。重要文化財に指定されている明治新政府の政策決定過程を示す史料と一連のものとみられ、重文に値するものだ」


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