
『赤い鳥』、『金の船』、
『童話』などの童話童謡
雑誌が次々と創刊され、
隆盛を極めていた大正
時代末期。そのなかで
彗星のごとく現れ、
ひときわ光を放って
いたのが童謡詩人
・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)
は、明治36年大津郡仙崎村
(現在の長門市仙崎)に生
まれました。
成績は優秀、おとなしく、
読書が好きで、だれに
でも優しい人であった
といいます。
そんな彼女が童謡を
書き始めたのは、20歳の
頃からでした。4つの
雑誌に投稿した作品が、
そのすべてに掲載される
という鮮烈なデビュー
を飾ったみすゞは、
『童話』の選者であった
西條八十に「若き童謡詩
人の中の巨星」と賞賛される
など、めざましい活躍をみせ
ていきました。
ところが、その生涯は決して
明るいものではありませんで
した。23歳で結婚したもの
の、文学に理解のない夫から
詩作を禁じられてしまい、
さらには病気、離婚と苦しみ
が続きました。ついには、
前夫から最愛の娘を奪われ
ないために自死の道を選び、
26歳という若さでこの世を
去ってしまいます。
こうして彼女の残した作品
は散逸し、いつしか幻の
童謡詩人と語り継がれる
ばかりとなってしまうの
です。
代表作は「私と小鳥と鈴と」
「大漁」