野田城の戦いの後 謙信が定盈に送った書状だそうです。
追って甲州出張の砌、其の表において戦功を抽んぜらるるよし、感じ入り候、内々其の口心元なきところ、家康より両便をもって、いよいよ入魂あるべきよし承り候、これによって、無二無三に申し談すべき子細、誓詞をもって申し合わせ候、然るべきよう演説まかせ入るまでに候。書夜其の口にあり、粗骨をつくさるるのよし、比類なく候、何様当方において油断あるまじく候、心易かるべく候、なお、かの両人口裏にあるべく候。
恐々謹言
八月朔日 謙信(花押)
菅沼新八郎殿