菅沼家ルーツ

宮城谷昌光氏の小説「風は山河より」で菅沼家3代が主人公になっていました。
菅沼家のルーツを探って見たいと思います。

天地人 上杉謙信 書状

2009-06-05 21:19:46 | 菅沼家ルーツ

野田城の戦いの後 謙信が定盈に送った書状だそうです。

追って甲州出張の砌、其の表において戦功を抽んぜらるるよし、感じ入り候、内々其の口心元なきところ、家康より両便をもって、いよいよ入魂あるべきよし承り候、これによって、無二無三に申し談すべき子細、誓詞をもって申し合わせ候、然るべきよう演説まかせ入るまでに候。書夜其の口にあり、粗骨をつくさるるのよし、比類なく候、何様当方において油断あるまじく候、心易かるべく候、なお、かの両人口裏にあるべく候。

恐々謹言

八月朔日 謙信(花押)

菅沼新八郎殿

 

 

 


江戸時代の武士の家譜

2009-06-02 06:12:56 | 菅沼家ルーツ
 江戸時代の武士の家譜には、家を相続したものの名前しかないものが多いと聞きます。武士の次男三男は部屋住みといって長男に何かあった時の跡取候補であって、成人した場合には厄介者だったようです。稀に分家を立てることはあったようですが、ほとんどはどこかへ養子に行くか、何か特別の芸(俳人・歌人・哲学者・政治活動家・美術者・脚本家・剣術指南など)で身を立てるかしない限り生涯独身だったようです。ただ幕末頃にはこの次男三男が大活躍しています。坂本龍馬・土方歳三・近藤勇・徳川慶喜・福澤諭吉など、みんな長男ではなかったようです。逆境がパワーとして働いたのかもしれません。