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菅沼家ルーツ

宮城谷昌光氏の小説「風は山河より」で菅沼家3代が主人公になっていました。
菅沼家のルーツを探って見たいと思います。

前橋藩士 山口図書 武曹について

2011-05-06 13:51:42 | 菅沼家ルーツ
以前にこのブログで前橋藩士・山口家のことについて触れたのですが

その時コメントをいただいていた図書のご子孫の山口様。

コメントを見た方からぜひ連絡をとってみたいとのことです。

もし差し支えなければ、このブログの右側にある「メッセージを送る」より

ご連絡をいただきたいと存じます。

山口図書が本家で、山口武曹が分家筋にあたるのだそうです。

書籍には、山口武曹は箱田村(現渋川市北橘町)で帰農し、

その子孫は村議会議員や村長を務めたそうです。

下箱田には分家もあるようです。

ただ山口図書のほうは、明治になってどうしたかわかりません。

文政~嘉永年間の前橋藩分限帳にも 大目付 山口織江がみえますね。

こんなところにも山口図書の名がありました。

栃木県指定工芸品

埼玉県苗字辞典⑨ 県内各地の菅沼氏

2011-05-06 13:11:18 | 菅沼家ルーツ
・ 児玉郡下浅見村(児玉町) 児玉記考に「旧家菅沼喜平治、源姓にして祖先は信州上伊那郡菅沼郷下条村菅沼弥次郎高房と云ひ、先に諏訪頼茂に仕へ、後武田勝頼に仕ふ、甲館滅亡後下条村の郷士となり、慶長八年菅沼園右衛門の代に至り当地に来る。園右衛門は地頭朝日寿永近道と元同勤の始めを以って客分たる事久しく、苗字帯刀無税除地四反歩を免さる。先代元達は水戸侯の侍医なり。医師喜平治は眼科術に長ず。現に信州下条村に菅沼家子孫連綿たり」と見ゆ。上伊那郡菅沼郷(駒ヶ根市)に下条村は無し。下伊那郡下條郷あり、明治二十二年陽皐村と睦沢村が合併して下條村となる。陽皐村に菅沼氏二戸現存す。信州菅沼郷は地名附会なり。成就院享保元年庚申塔に菅沼角兵衛、安政七年庚申塔に菅沼喜平治。八幡社元治元年庚申塔に菅沼半左衛門、年不詳に菅沼定八郎、明治二十四年御嶽碑に菅沼良・菅沼新七郎。明治九年副戸長菅沼喜平治。西富田村宥宝寺明治十二年玉垣碑に下浅見村菅沼周伯あり。四戸現存す。次項参照。

・  賀美郡元阿保村(神川町) 古郡村安光寺嘉永元年地蔵尊にアホ・菅沼玄達あり。現存無し。

・  榛沢郡菅沼村(川本町) 気楽流柔術菅沼勇輔(良金、享和二年生、明治三年没)は邸内(飛田家屋敷百八番地)に道場を開き、門弟三千人に及ぶ。本名飛田氏にて、菅沼氏は現存無し。

・  秩父郡贄川村(荒川村) 当村に此氏多く存す。

・  雑載 昭和三年興信録・所得税に「静村(栗橋町)・菅沼市三・九円、川越市・菅沼房吉・二十三円、松山町・菅沼昇一郎・十円」あり。


以上 

埼玉県苗字辞典より転載させていただきました。

埼玉県苗字辞典⑧ 県内各地の菅沼氏

2011-05-06 10:12:09 | 菅沼家ルーツ
・ 新座郡野火止宿(新座市) 大和田町善光明寺嘉永四年碑に野火止村菅沼弥輔あり。一戸現存す。

・ 入間郡川越町 明治三十五年提灯屋菅沼磯五郎あり。小仙波町に十三戸現存す。

・ 比企郡三保谷村(川島町) 当村に此氏の旧家あり。四戸現存す。

・ 同郡正代村(東松山市) 御霊社北文化九年碑に正代村菅沼文蔵。明治二十八年蚕業菅沼勘三郎あり。二戸現存す。

・ 児玉郡児玉町 明治四十四年東上鉄道株主菅沼源作・百十一株所有あり。現存無し。