三河菅沼家の明暗を分けた長篠・設楽が原の戦いについて。あまりに有名なので、ここであえて述べなくても良いかと思っていたのですが、掲載しておきます。武田軍対織田・徳川連合軍の最終決戦。結果は周知のとおり織田・徳川連合軍の大勝利となります。菅沼家にとっては一族を分けた戦いでありました。徳川方の菅沼定盈・定利・藤蔵(定政)はその後大名となっています。一方武田軍に味方した田峯菅沼・長篠菅沼家は滅亡または没落してしまいました。歴史は当主についての記述はありますが、その家族郎党がどうなったかあまり資料はないように思われます。きっとどこかに隠棲し、時代が経って由緒を失ってしまった家もあるかもしれませんね。
無量院という寺は由井郷にいた菅沼氏によって、延徳二年(一四九〇)庚戌年五月廿五日に起立とある。この菅沼氏は同地(八王子市二分方町)に現在も居住しておられる。古くからの土豪であろう。下山治久著『八王子城主・北条氏照』所収文書に北条氏照感状写がみられる(奥信濃古文書)。それは菅沼六兵衛丞が永禄七年(一五六四)に、下総国葛飾郡国府台の戦いで与えられたものである。
1490年(延徳2)弐分方村に庵室を草創(のちの無量院).弐分方村民.
八王子市の資料にあるようです。この菅沼氏はどの菅沼だろうか?
藤原道隆の子伊周より出ずる
大沼四郎親清の子に菅沼五郎蓮心がおり、苗字は駿東郡菅沼の地に因るが、三河国賀茂郡にも菅沼があり(現豊田市東部)、賀茂郡寺部村の神主に菅沼兵部が見える(「式内巡拝記」)。徳川氏の譜代には菅沼氏がかなりの数あり、同国設楽郡菅沼邑より起こる土岐一族の流れと称するが、これは※仮冒で、これら三河の菅沼氏はみな同族ではないかとみられる。設楽郡の菅沼氏については、「菅沼五郎蓮心-同三郎忠茂-同七郎忠遠-太郎定遠」とあり、定遠は代々住設楽郡菅沼村と註される。
※仮冒・・・・他人の名をかたること。偽称。
というのもありますね。
沼田藩の藩祖、土岐定政は人生の大半を菅沼藤蔵として過ごした。土岐明智氏の系統で父は明智定明、母は田峰菅沼家の菅沼定広の娘という。父が斉藤道三との内紛で戦死したため、母の実家で育てられ菅沼姓を名乗った。その後家康の家臣となり、数々の戦いで軍功を上げ、家康の関東移封の時、相馬郡守谷に1万石を与えられ大名となった。姓も菅沼から没落した土岐氏の家名を再興するという事で、大名土岐家となったということです。その後子孫が転封を重ね上野沼田藩で幕末まで継続。
現在沼田藩邸は公園になっていて、明治になって子爵となった土岐氏の邸宅が東京から移築されています。
旧土岐氏洋館
全国市町村で苗字ランキング100位以内に入っているところを探してみました。ひょっとして菅沼家ルーツに繋がりがあるかも知れません。
北海道上川郡東川町 45位 7軒
岩手県北上市 80位 27軒
福島県耶麻郡猪苗代町 61位 14軒
福島県耶麻郡磐梯町 58位 3軒
栃木県上都賀郡西方町 91位 4軒
栃木県下都賀郡大平町 81位 16軒
群馬県館林市 93位 35軒
群馬県多野郡神流町 63位 2軒
群馬県利根郡川場村 46位 4軒
埼玉県北埼玉郡北川辺町 60位 10軒
千葉県印旛郡本埜村 91位 3軒
神奈川県横浜市緑区 70位 46軒
神奈川県足柄下郡湯河原町 32位 30軒
新潟県岩船郡関川村 60位 5軒
新潟県西蒲原郡弥彦村 40位 11軒
長野県下伊那郡大鹿村 2位 14軒
長野県下伊那郡高森町 78位 9軒
長野県下伊那郡豊丘村 8位 42軒
長野県飯田市 42位 130軒
長野県駒ヶ根市 41位 43軒
長野県上伊那郡中川村 83位 4軒
長野県下伊那郡下條村 93位 2軒
長野県下伊那郡喬木村 70位 6軒
長野県下伊那郡根羽村 14位 6軒
長野県下長野県伊那郡松川町 22位 36軒
静岡県浜松市東区 98位 46軒
静岡県湖西市 4位 183軒
静岡県牧之原市 100位 27軒
静岡県周智郡森町 75位 12軒
静岡県浜名郡新居町 64位 13軒
静岡県菊川市 44位 43軒
静岡県御殿場市 44位 60軒
静岡県駿東郡小山町 94位 8軒
愛知県新城市 30位 84軒
愛知県豊川市 64位 84軒
愛知県豊橋市 80位 145軒
愛知県北設楽郡東栄町 90位 3軒
滋賀県湖南市 88位 19軒