林檎日記

日々の事、考えた事など
無責任に書いてます

『三陸海岸 大津波』吉村昭

2024-09-04 23:57:00 | 
明治29年の大津波、昭和8年の大津波、チリ地震津波について、取材して書いた本。

おもしろかった。

予兆などについて
明治29年・昭和8年の津波で共通する予兆として
異常な豊漁
井戸枯れ がある。
地震の後の津波と考えれば、海底で何かが起きてるわけだから、豊漁や井戸枯れに繋がるのも分からなくもない。
コレ、東日本大震災ではあったのだろうか。今は井戸がなくて分からないかも知れないけど、豊漁は?
って言われると、つい最近もイワシが豊漁だとか、どっかの浜に大量に打ち上げられたとかあったな。でも、そのあと大きな地震があったわけでもないねぇ。

そのほかに、津波の時の現象として、大砲のような爆発音、ドーンという大きな音。海上に見える、光。も共通してるんだけど、コレも今回はどうだったのかねぇ。話をきかないなぁ。


明治29年でも昭和8年でも、結構壊滅的な被害を受けている。町の全戸がながされちゃったりとか。9割方亡くなったりとか。
でも、いまでもその町があるということは、そこから復興してきたんだねぇ。それはすごいねぇ。

明治29年なんて、内陸との連絡道路もなくて(昭和8年でもなかったらしい)、支援するのが大変だったらしい。そうだよねぇ。そりゃ大変だったねぇ。

昭和8年の大津波は3月3日。寒い日だったそうだ。夜中の2時台に地震がきて、3時台に津波が来た。当時は「冬と、晴れた日には津波は来ない」って言い伝えがあったんだって。寒かったし、晴れていたので「大丈夫だ」という古老の言葉に安心して、地震の後また布団にもぐりこんだ人が多かったみたい。それが余計に被害を拡大させたのでは、ということ。そんな言い伝えがあったのんて、知らなかったなぁ。

チリ地震津波は、圧倒的に大船渡の被害が大きかった。なんといっても、岩手県下の死者61人中52人が大船渡だったそうだ。知らなかった!大船渡市民として、大船渡の被害が大きかったのは知っていたし、チリ地震津波を基に、津波教育も受けてきてたけど。どこも同じくらい大変だったんだと思ってたーーー。違ったーーー。

取材した体験談とか、記録に残っていた子どもたちの作文とかも記されていて、腑に落ちやすい。

さて、最後に筆者がこう書いている。
『早野氏は言った。「津波は時世が変わってもなくならない、必ず今後も襲ってくる。しかし今の人たちはいろいろな方法で充分警戒しているから死ぬ人は滅多にないと思う。」この言葉はすさまじい幾つかの津波を体験してきた人のものだけに重みがある。』

そうでもなかったよー。

震災前に亡くなったようですが、
彼が東日本大震災を経験して、取材して書いたら、どういう風に書いたかなーって、興味があります。


コメント
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