無料レンタルを教えてもらったので
見たのであった。
ALSに侵されながらも、有意義に生きたのがわかる、素晴らしい映画でした。
ってか、ホーキング博士の人生が素晴らしかったんだねぇ。
ALSに侵されながらも、前を向いて生きれたのは、彼女がいたからなんだと思いましたよ。若いのにー、ALSに侵されていく人を支えるのはどんなにか大変な事か。それを成し遂げた彼女の偉大さよ。すごいよ。
もちろんホーキング博士自身も、すごいわけだ。自分がどんどん色々なことができなくなっていくって、だって、ものすごくツライ。それを乗り越えて生きていく訳だから。でも、それってALSの人ってみんなそうなのかな、って思うもんね。だって、死なない限りは生きていくしかないからさ。だからきっと、その点に関してホーキング博士が特別なわけではない。むしろ、ホーキング博士は、若い時から自分を支えてくれるパートナーが見つかって(その時点ですでにそのくらい人格的に魅力的だったってことなんでしょうね)、そしてその類稀なる頭脳を使って世の中に賞賛される存在であったから、一般的なALSの人より生きやすかったかもしれない。彼の話を聞きたいって人がたくさんいたのでしょうからね。一般のALSの人ってたぶんなかなかそうは行かなくて、話すスピードがゆっくりになったり、発音が不十分になったりしてきた時点で、しっかりと話を聞こうとする人は激減するんだと思うの。だって、周りの人にも日常生活があるのに、いちいちどうでもいい話に時間を費やしていられない。ホーキング博士にも、そんな環境があったかもしれないけどね。日常生活においては。でも、映画の中で、発音不十分でゆっくりながらも理論を発表して、それをたくさんの人がしっかりと聞いていたから、それって、一般的な日常では得難いものだよなぁ、って思いながら見た。
「話をきちんときいてもらえる」っていうのは、人格をしっかりと認めて貰っているっていう実感を伴うだろうし、「話をきちんときいてもらえない」ってのは、人格を認めてもらえてないっていう実感をもってしまうんだろうと思う。
残念ながら、ALSを含む、発話に障害を持つ人たちは、後者の環境である事が多いんだろうと、いやもう、殆どの人がそうなんだろうと思う。
だから、ホーキング博士は、恵まれてたって思うんだな。
それは、自身が生まれ持ったものであるんだろうし、彼女が作ってくれたものなんだろうし、自身の努力で得たものなんでしょう。
でも、できれば、そう、そこまでのものを持っていなくても、誰もが、ホーキング博士と同じように、「他人に話をきちんときいてもらえる」世の中であればいいのに。ね。ね。ね。
最後に、ホーキング博士の役者さん、凄いね〜。英語はよくわからないけれど、発音が不十分になる様子、きいてて分かった〜。すごいね〜。