活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

長崎造船所と活版印刷

2008-01-11 21:09:42 | 活版印刷のふるさと紀行
 元旦、谷中の七福神、谷中墓地、平野富二ときて、いきなり、長崎造船所ではびっくりされてしまうかも知れません。

 なんだか「連想ブログ」みたいで、当方も落ち着きませんが、まだ、きょうはお正月気分が少しは残っている鏡開きの日、なんとか、おゆるしのほど。

 そして、話はいきなり、昨年の11月に戻ります。
長崎の純心女子大であった古典籍研究会で「ドラードとキリシタン版」について、つたない話をしてから、訪ねて行った先が三菱重工株式会社長崎造船所の資料館でした。

 1857年といいますから安政4年に幕府が建設に着手したのが、この造船所の前称、
長崎鎔鉄所でした。実は、後に1871年、明治4年から本木昌造を助けて、日本の活版印刷事業化に献身する平野富二は長崎鎔鉄所が長崎製鉄所になったころに、機関方を勤めていたときがあります。
 
 もともと、本木昌造が海軍伝習所から製鉄所の頭取役についたのが、富二の製鉄所入りのきっかけになったといいます。残念ながら史料館には、この二人の足跡は見出せませんでしたが、本木と平野についての話を続けようと思います。

 

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