活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

江戸城内の御金蔵から11万両

2010-12-26 16:59:29 | 活版印刷のふるさと紀行
 西周さんは置いといて、沼津兵学校、スタート時点の徳川家兵学校設立の推進役は前述の阿部潜(邦之助)が定説ですが、これに伴う伝説の方が面白いので紹介しましょう。
 幕府陸軍の兵員数はどれくらいだったのでしょうか。1万7千人はいたらしいのですが、そのうち400万石から70万石にダウンした徳川家に従って駿河に移住希望兵士は2~3千人はいたと思われます。

 『陸軍解兵御仕方書』という規則が慶応4年に公布されたのですが、そのなかに陸軍学校の設立がうたわれていて、この規則の起草者が陸軍頭阿部潜だったのです。
 といっても、先だつものは軍資金、彼は部下を使って江戸城開城前に城内の御金蔵からなんと11万両をひそかに持ち出させたというのです。

 よく時代劇で千両箱を担ぎ出すシーンが出てきますが、11万両だったら千両箱110個、官軍の目をどうごまかして、どうやって駿河まで運んだのか、伝説なるユエンです。
とにかく徳川家の、いや徳川幕府の大リストラの中で、将来のために学校設立を企画した人も人なら、そこにはせ参じた人たちもたいしたものでした。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 西周(にし・あまね)か阿部潜か | トップ | 沼津市明治資料館で印刷物拝見 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

活版印刷のふるさと紀行」カテゴリの最新記事