『活字印刷の文化史』に提起されている内容で、私にとってもっとも衝撃的だったのは、著者の<ドゥラードの「日本文字」印刷への関わりは否定されるべきではないかとの疑問>という箇所でした。
正直にいって『活版印刷人ドラードの生涯』(印刷学会出版部)を書いているときに私もキリシタン版に使われた日本文字の活字を誰が、いつ、鋳造したのだろうかという疑問は持ちました。
ドラードたちが帰国早々の1591(天正18)年に、ローマ字本の『サントスの御作業のうち抜書き』が刊行されました。これはローマ字ですから、リスボンから持ち帰った活字を主体に、足りない活字が出れば、母型も持ち帰っていますから鋳込むことは容易だったでしょう。
ところが、その『サントス』から程なく、国字本の『どちりいなきりしたん』が平仮名交じりの活字版でおくり出されております。日本文字の活字は持ち帰っていないのにです。どうして、いつ、だれがモノにしたのでしょう。
それにルイス・フロイスの『日本年報』によれば、この2冊以外にも国字で教会暦などを印刷したふしもあります。
何しろ帰国早々です。ローマ字であれ、国字であれプロジェクトチームの長とも言うべきドラードが関わっていないはずはありませんが、この時期にどういう形で、誰の助けを借りて活字を鋳込み、印刷機をまわしたか、謎がかくされていることは事実です。
正直にいって『活版印刷人ドラードの生涯』(印刷学会出版部)を書いているときに私もキリシタン版に使われた日本文字の活字を誰が、いつ、鋳造したのだろうかという疑問は持ちました。
ドラードたちが帰国早々の1591(天正18)年に、ローマ字本の『サントスの御作業のうち抜書き』が刊行されました。これはローマ字ですから、リスボンから持ち帰った活字を主体に、足りない活字が出れば、母型も持ち帰っていますから鋳込むことは容易だったでしょう。
ところが、その『サントス』から程なく、国字本の『どちりいなきりしたん』が平仮名交じりの活字版でおくり出されております。日本文字の活字は持ち帰っていないのにです。どうして、いつ、だれがモノにしたのでしょう。
それにルイス・フロイスの『日本年報』によれば、この2冊以外にも国字で教会暦などを印刷したふしもあります。
何しろ帰国早々です。ローマ字であれ、国字であれプロジェクトチームの長とも言うべきドラードが関わっていないはずはありませんが、この時期にどういう形で、誰の助けを借りて活字を鋳込み、印刷機をまわしたか、謎がかくされていることは事実です。
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