活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

久能山東照宮の鉛筆

2011-10-09 13:50:25 | 活版印刷のふるさと紀行
 体育の日を明日に控えて三連休の中日の日曜日です。
昨日、日本平から帰ってきた一家からおみやげをたくさんもらいました。
日本平というと一つ思い出すことがあります。

 ずいぶん前ですが、日本平の久能山東照宮に取材に行ったことがあります。
カメラは当時流行っていたゼンザブロニカECを持って行きました。
同行は三菱鉛筆の本郷さん、つまり、「三菱鉛筆の社史」で徳川家康が使っていた
日本最古の鉛筆を取り上げることになってのことでした。

 家康の鉛筆は古色蒼然とした蒔絵硯箱に細筆などとともに無造作に入っておりました。
まだ文化財感覚がいまほどではなかった時代だったせいにせよ撮影も簡単に許されましたが、
当の鉛筆がわずか10センチちょっとで、軸木も無表情でしたし、軸木の先端に丸っこくて、
太い黒鉛の芯が不細工に出ていて、どう見てもパッとしない代物で拍子抜けしたことを
おぼえています。
 
 もちろん、この鉛筆がどこから、どういう形で入ってきたものかはわかりませんが、
おそらく1600年前後に南蛮船経由でインドかマカオから宣教師によってもたらされた
ものでしょう。

 伊達政宗が鉛筆に愛着を示し、国産鉛筆を製造させた話が近年出て来ましたが、家康には
そこまでした形跡はありません。「印刷」ほどには興味をしめさず、無頓着だったのでしょう。
 結局、日本で最初に鉛筆を量産したのは三菱鉛筆の前身、真崎鉛筆で、逓信省(いまの郵政省)が
「局用鉛筆」として採用したことで、1900年すぎから需要が増えたといいます。日本の鉛筆の
歴史100年ということでしょうか。

 しかし、筆記具としての鉛筆はボールペンにとってかわり、さらに、パソコンの普及で需要は
かなり、斜陽であろうかと想像できます。

 



 

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