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活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

「ひなん」「ひなん」というけれど

2015-08-27 14:49:15 | 活版印刷のふるさと紀行

 台風一過、それにしてもあまりにも急激に涼しくなったものです。ひさしぶりに海から吹いてくる風に当たろうと散歩に出ました。晴海運河沿いの柵に「地震+津波 すぐ高いところへひなん!」の警告看板。 いままで目にしたことが無かった気がしますからごく最近ついたのでしょう。近くに海抜2,9メートルとありますから、なんとしてでもいざというときには高いところに駆け上がらなければなりません。

 そういえば、「いざというときに」というタイトルの地震対策の自治体刊行物をなんどか編集、印刷したことを思い出します。しかしあのころはその冊子のなかに「帰宅困難のとき」の項目など入れた記憶がありません。しかし、最近は東京23区だけでも570万人の帰宅困難者が出るといいますから,都市部にあっては「ひなん」+交通手段選びも楽ではありません。

 それに地震のときだけとは限りません。この1週間に限っても、台風による洪水,地崩れもあれば、頻発する鉄道事故による全線不通での帰宅困難など突発事故だらけです。加えて火山の噴火、原発のいざというときの避難も問題視されて検討されております。

 もはや「天災は忘れたころに」にではなく、自然災害も人災もおしなべて四六時中、いつ私たちの身の上に襲いかかって来るかわからないのが日本列島の現状ではないでしょうか。どんな場合も「ひなんと」は容易ではあろません。日ごろからいざというときの「ひなん」を心して毎日をおくらねばならないとはセツないことです。





てつどう

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永井一正さんのデザイン哲学

2015-08-23 19:38:11 | 活版印刷のふるさと紀行

 9月13日まで印刷博物館でGRAPHIC TRIAL 織(おる)という展覧会がおこなわれています。例年の企画ですが、グラフィックデザイナ-とプリンティングディレクターが協力しあって「新しい印刷表現にチャレンジする」ことをねらっています。

 展覧会としては小規模で地味に見えるところもありますが、どうして、どうして、じっくり見てまわるとかなり刺激的です。とくに、今回は、大御所永井一正さんの「LIFEー命を織る」がトライアルが生み出すグラフィックデザインの醍醐味をいかんなく伝えてくれいて感動しました。  

 いままで永井さんの「いきもの」を描いた作品には数多く接してきました。私の部屋にも「サル」がいます。この地球上で人間も動物も植物も共生しているところから動物を主体としたLIFUシリーズで生命を織るをテーマに永年、制作をしてこられたのです。『未来への思いと生命への畏敬の念をシンプルなかたちに託します』というデザイナーとしてのことばにはデザイン哲学があります。

 それに比べて、最近、問題を投げかけている東京五輪エンブレムやサントリーのトートパックの件は残念です。東京ADCやTDC,JAGDAなどで受賞を重ねておられますから存じ上げておりますが意外でもありました。当の佐野さんは『アートディレクションとはコミニケーションの設計である』とアートディレクターの在り方を述べておられますが。

 

 

 

 

 

 

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『子どもたちへ、今こそ伝える戦争』という本

2015-08-11 09:54:31 | 活版印刷のふるさと紀行

 あなたは「銃後」ということばがわかりますか。 

「戦場になっていない国内、また、直接戦闘に参加しない一般国民」手元の辞書には、こうありました。

 「君たち銃後の青少年は」 耳にタコができるほどこの「銃後」ということばを聞かされて育った世代、戦争を知っている世代がだんだん少なくなっています。

 そのせいでしょう、広島や長崎の原子爆弾被爆の記憶、沖縄戦の記憶、特攻隊員の記憶、敗戦の日の記憶、日本が戦い、敗れた戦争体験の記憶がこの夏ほど取り上げられたことはありません。戦後70年、あるいは安倍内閣の自衛権問題がクローズアップされているからにほかなりません。

 「日本がアメリカと戦争したなんて知りません」、「8月6日がなんの日かわかりません」テレビで無邪気に質問に答える若者も珍しくありません。日本の「戦争」が伝えられていないのです。

『子どもたちへ、今こそ伝える戦争子どもの本の作家たち19人の真実』 講談社から先月、出た本です。それこそ銃後の青少年だった19人の子どもの本のイラストレータや作家が自分の「戦争」の記憶を素直に、率直に、なまなましく語っています。戦争を知らない人に、とくに政治家に読んでもらいたい本です。






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大航海時代がもたらした日本布教

2015-07-10 10:37:06 | 活版印刷のふるさと紀行

  はげしい雨の中を銀座教会へ行きました。毎年恒例の教会主催の聖画のッ展覧会で級友、大田 久さんの出品作拝観のためです。

 実は級友といっても高校のときで、今日、雨をついて出かけたのは同級生10名ばかりがここで集まって、そのあと食事をともにしてみんなで近況を話し合おうということになっていたからです。

 偶然といえば偶然ですが、彼はクリスチャンではないのに、大学卒業以来ずぅと聖画を画題にして研鑽を積んできた画家です。実は私も信者ではありませんが、卒論にフランソワ・モーリャックを選んで以来、キリシタン版の印刷→イエズス会→カトリックという流れで私なりにキリシタン史を追いかけてきました。

 たまたま、いま、東洋宣教に派遣されることを熱望した修道士の願書がイエズス会の会長の机の上に山と積まれたころのことを調べております。時代でいえば1570年前後、マルチン・ルッターの宗教改革で槍玉にあげられたカトリック界が「トリエント公会議」や「レバントの海戦」あるいは「ピオ5世の改革」などを経てふたたび、キリスト教の精神にめざめ、ザビエルはじめ多くの東洋派遣の宣教師の現地からの手紙に刺激されたこともあって東洋布教を志したころのことです。

 加えて「大航海時代の幕開け」が重なったからこそ、有能な宣教師が日本を目指したのだと思います。ザビエルの来日から鎖国までの「日本のキリシタンの世紀」について「印刷」を中心に私はもっと追い求めたいものです。

小さなクラス会を終え、太田画伯から頂いた12使徒の習作を大事に抱えて、いっそうはげしくなった雨の中を帰ってきました。彼のひたむきな画業やあくことのないテーマ追求にに刺激されたいい日でした。





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七夕や 何をあとにつづけるか

2015-07-04 04:06:43 | 活版印刷のふるさと紀行

 ここ何日か、足を痛めて、一晩中、足をあげて寝ております。眠りが浅いのは不快です。

そんなとき、今年もマンションのフロントに七夕飾りが。「2015 七夕になでしこを追う寝ぼけかな」 

 乞われるままに短冊を書こうとしたのですが、うまくいきません。

七夕で仙台を想い浮かべていたら、ふっと、遠い仙台の人に。

「七夕や仙台の人に思い届かず」 七夕だから届けたいのに。なんとなく仙台の人の身辺の変化が気になるのですが、あとが続きません。

昔、活版印刷で原稿どおりの活字がなかったり、同じ文字を多用して文選のウマにその活字がないとゲタをはかせた校正刷りが出て来たものです。「七夕や ゲタ、ゲタ、ゲタの遠い人」 眠りが浅いとダメですね。

それにしても新幹線の焼身自殺事件、箱根山の小噴火、ギリシアの財政不安、さらに安倍政権と沖縄問題 苦い七夕です。

 


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丸加醸造所の紙袋

2015-06-17 12:08:30 | 活版印刷のふるさと紀行

 1週間に2度も豊田市へ行って来ました。トヨタとサッカー・スタジオで町のたたずまいはすっかり変っていましたが、昔のまま変っていないものを1つだけ見つけて「万歳」です。

 それがこれ。ある味噌屋さんの紙袋のデザインです。中央に5弁の花びら、多分、ウメでしょう、そして正円の中の肉太のカの文字、これで社名のマルカをあらわしております。あとは左右シンメトリーに見えるのですがデザイン素材は別々です。左の葉っぱは山ゴボーの葉っぱでしょうか、右は麦の穂でしょうか。

 三河の味噌の原料は大豆、いくら山ゴボーの味噌漬が自慢のお店でも、ゴボーの葉っぱはもっと大きいはず、ウメではなくサクラなどと考えていると私の想像はまったく違うのかもしれません。

 そして「商標登録」の4文字が図柄の右と左に2字ずつ縦に配されていて、社名が一番下に左から右に置かれています。それぞれの書体が全く異質ですが、それが妙に味を出しております。そして目とをこらすと、◎昭和2年創業当時の商標ですとありました。

 昭和2年だと紙袋ではなく包装紙はあったのでしょうか。としたら「印刷」は? 案外、描き版で、それとも。まあ、いいや。もうちょっと想像を楽しむことにします。それに、もっとうれしかったのは東京に戻っておみやげとしてこのデザインの紙袋を黙って渡したら友人が「マルカの山ゴボーかうれしいな」と、いってくれたことです。彼は豊田市出身でデザイナー、それも紫綬褒章をもらったような大物です。

 昔の商標登録をそのまま紙袋に使っているセンスに乾杯です。そして、中身の山牛蒡と菊芋の味噌漬けの味はサスガでした。


 




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天正少年使節とヴェネツィア

2015-04-27 11:15:08 | 活版印刷のふるさと紀行

 伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノ、中原ジュリアンこの4人の天正使節にとってはローマ教皇と謁見したヴァチカンの思い出の次に記憶に残ったのはヴェネツィアだったはずです。当時はヴェネツィア共和国でしたからローマ常駐の大使がおりました。その大使から大統領のもとに日本の少年使節を教皇が歓待する様子が刻々と伝えられましたから本国ヴェネツィアで大歓迎プランが着々と練られました。いわば、完璧な「おもてなし」だったのです。

 船でポー河をくだってヴェネツィア領に入った使節たちは祝砲や何十隻もの歓迎のゴンドラに迎えられ、サンマルコ広場裏の宿舎に入りました。彼らが花鳥をあしらった和装でニコロ・ダ・ポンテ大統領の謁見を受けたのをはじめ、連日、あちこちで大観衆に取り囲まれた様子はいろいろな本に記述されています。サン・マルコ教会、宮殿、鐘楼、市庁舎、造兵廠、造船場、ムラノ島のガラス工場、見るもの聞くものに驚嘆する日々が続いたのです。

 この少年使節のヴェネツィア訪問をいまに伝えるものにいくつものものがありますが、その最たるものに彼らがヴェネツィアを去るに臨んで大統領にあてた感謝状で、その現物がこんどの印刷博物館のヴァチカン教皇庁図書館展で見ることができたのです。感謝状の日付は1585(天正13)年7月2日です。

 感謝状は堂々たる筆運びの日本文字で洋紙に墨文字で書かれていました。とくに興味深かいのはその文章の下部に4人の使節の花押があることです。花押は武士階級には必須のものでしたから不思議ではありませんが、日本にいるころから使った花押なのか、ヨーロッパでサインを求められることが多いことから新しくつくったものでしょうか。草書体の花押の中にローマ字署名が隠されているといった人がいるものですから。

 一昨年でしたか長崎で発見された伊東マンショの肖像は議会に命じられてこのときヴェネツィアで描かれたものだといいますし、ヴェネツィアを離れる前の日に訪れたサルッテ神学校の壁には今も少年使節記念碑があります。しかし、残念ながら、『対話録』を目を皿のようにして読んでも、少年使節が印刷所や出版社を見学した記述は出て来ません。ただ、植物園でメルヒオル・ギランディーヌスから4冊合本の高価な『世界與地図』の寄贈を受けたことと印刷の巧妙さが記述されているだけです。なお、写真の感謝状の左の方の横文字はイタリア語訳文です。



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『どちりいな・きりしたん』のホンモノと出会う

2015-04-25 12:42:43 | 活版印刷のふるさと紀行

 印刷博物館ではじまった「ヴァチカン教皇庁図書館展Ⅱ」-書物がひらくルネッサンス-でようやく1591(天正19)に日本で印刷されたキリシタン版の『どちりな・きりしたん』と対面することができました。20年前、ヴァチカンで粘ったけれど見せてもらえず涙を飲んだホンモノが目の前にある感激。オープニングに来日された大司教さまや樺山館長はじめ印刷博物館のスタッフのみなさまに心から感謝。個人的にも忘れられない日になりました。

 『どちりな・きりしたん』は最終展示コーナー「ヴァチカン貴重庫でみつけた日本・東アジア」にガラス・ケースにおさまっておりました。見開きの左が本文の冒頭ページ、右が銅版画の扉です。布表紙のはずですが、ガラス越しで確認できませんでした。424~5年前に島原の加津佐か天草の河内浦で印刷されたキリシタン版がせいぜい古書店で見られる戦前本程度の新しさに見えるのも不思議でした。

 私がしばしば疑問をぶっけているこの大型活字の国字の鋳造についてはこうしてホンモノを見ても解明できるわけではありませんが、たまたま同じ日に手にした近畿大学中央図書館報『香散見草』2015 47号に森上 修先生がキリシタン版の国字鋳造について書いておられるのを読むことが出来たのも偶然ではない気がしました。

 この展覧会は7月12日までです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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タウン誌に望みたいこと

2015-04-20 12:02:39 | 活版印刷のふるさと紀行

 紙メディアの領域がどんどん減っていくのをみるのは私のような活字人間、印刷人間にはなによりもさみしいことです。先日も新聞社の人と話していて、夕刊の配達を断る人が多く、夕刊だけならまだしも新聞購読そのものをしない若者が年々ふえて困ると聞きました。

 デジタル情報でじゅうぶん用が足りるというのでしょうか。活字の力をもっと評価してほしいと思ってしまいます。

 そうはいってもメトロの駅などに積んであるフリーペーパーは別にして、最近は、企業PR誌だとか、地方情報誌だとか、同人誌といった紙メディアも目に見えて減って来ています。そんな中にあって神出鬼没ではありますが比較的健在なのが「タウン誌」ではないかと思われます。

 ただ、残念なのはタウン誌で圧倒的なページを占めているのはグルメ記事、飲食店ガイドであることです。もっとも最近はテレビでもグルメ番組でなければ旅行か健康番組一色ですから已むを得ないかもしれません。

 そこで」1975年創刊のタウン誌『深川』を紹介したいと思います。

 偶数月発行ですから最新号が3・4月号ですが、表紙に大きく「東京     

大空襲を語り継ぐ」とあります。わずか2時間半の空襲で深川周辺だけでも3万人、東京都内で10万人もの犠牲者を出した1945年(昭和20)3月10日の東京大空襲を終戦から70年の特集としてとりあげているのです。3月10日の深川の町の再現、戦災資料センターの紹介、地元にある慰霊碑30にも及ぶ慰霊碑の紹介、空襲の体験談と充実した中身です。あるいは70年という歳月が惨禍の地元にあっても風化させてしまっているかもしれませんがタウン誌がたんたんと語り継ぐ姿勢に打たれました。

 タウン誌の多くがあまりにも今日的な情報提供に終始しておりますが、『深川』、のようにもっと町の昔を語り継ぐ記事をとりあげてほしいと思います。



 

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500年前のヴェネツィアで 2

2015-04-18 13:40:18 | 活版印刷のふるさと紀行

 私は500年前のヴェネツィアでは、印刷術は新技術ということで、さぞかし職人は高給で厚遇され、刷り上がった書籍は貴重品扱い、印刷人は蝶よ花よともてはやされていたであろうと想像しておりました。ところが、その想像はレプリの『書物の夢、印刷の旅』によってすっかり裏切られたのです。

 前回に書きましたように、職人は長時間労働を強いられ、少しでも好条件の勤め先を求めて転職を繰り返して行く、さらに、『宮廷人』のような売れ行きを望める場合は海賊版が出され、ヴェネツィアからパリやリヨンやサラマンカめざして舶載されていったといいます。いっぽう、出版社側で出版企画をたて、編集や校正など机上ワークを進めるのは貴族階級ですから社交界を舞台にあれこれと仕事の駆け引きが されたようです。女性をめぐっての話題までレプリはいきいきと描写しています。

 海賊版は別にして、正規の書籍は元老院の許可がなければ刊行出来なかったのでツテを頼って丁丁発しの交渉が展開したようですし、ヴェネツィアの文士たちの裏話や新しい書体を開発する制作者の話なども興味ぶかく読みました。とにかくバルダッサール・カスティリオーネのベストセラー『宮廷人』の原稿がヴェネツィアで刊行されるまでの経緯を書きながらルネッサンス期の出版史、印刷文化史、政治史をつぶさに散りばめているこの本の一読をお奨めしたい気がします。


 

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