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活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

知らなかった平和展示資料館

2015-12-17 07:58:20 | 活版印刷のふるさと紀行

 忘年会のシーズンです。今日の会場は新宿住友ビルの48階の京料理店、朝日カルチュアセンターがあるから馴染みのビルなのに48階ははじめて。そこで発見したのが「平和祈念展示資料館」でした。いやに生真面目な館名だなと思いましたが、総務省委託とあったから納得。

 コーナーが3つありました。兵士コーナー、戦後強制抑留コーナー、海外からの引き揚げコーナーで日本人の戦争体験の労苦を写真や絵画、実物資料を通じて知ってもらおうというのがねらいのようです。ビデオもあります。

 時間がないので駆け足見学でしたが、戦後闇市派のひとりとしては興味深く、「やっぱり戦争は」の思いを強くしました。それにしても初めて目にした『臨時召集令状』のお粗末な印刷ぶりにには驚きました。赤紙だから赤い。しかし、なんとお粗末な赤色、こんなみじめな紙質、印刷の紙切れ1枚で軍隊にかりだされ、あげくに戦死ではと。

 さらに戦後、旧ソ連のシベリアやモンゴルなどで強制労働に従事させられた兵士たちの生活用品展示、一般民で海外から引き揚げてこられた人々の労苦の証拠品、とくに引き揚げ船内のジオラマには心打たれました。

 同じ日、朝刊には2015年を表す㈠字として清水寺で大書された文字が「安」だとありました。安倍政権、安保関連法案の安、テロや杭偽装などが醸し出した不安の安だとか。

 私は知りませんでしたが、多くの人に東京都庁のとなり、住友ビルで展示を見て平和を祈ってほしいものです。入館無料で9時半から5時半です。

 

 

 

 

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織田有楽斎の茶室「如庵」のこと

2015-12-02 11:25:35 | 活版印刷のふるさと紀行

  犬山で紅葉盛りの「有楽苑」を訪ねました。織田信長の実弟、織田長益(1547~1621)は晩年、京都建仁寺の正伝院の境内に「如庵」(じょあん)を建て、有楽斎如庵の名のもと、千利久七哲の一人として活動しました。いまは国宝の茶室として「如庵」がこの有楽苑に保存されているのです。重要文化財の旧正伝院書院や大阪・天満にあったという有楽斎の復元茶室「元庵」も見学しました。

 茶道のことも信長と十三歳違った有楽斎の生涯についてもよく知らないのでむしろ苑内の紅葉の美しさに目を奪われたというのが正直なところですが、利久を頂点とした「茶の湯」と信長、秀吉、家康との因縁についてはもっと知りたいことがたくさんあります。

 たまたま、前日、岐阜公園の菊人形展で信長の茶室を題材にした大がかりな展示を見たばっかりでした。

                


 信長の茶器をめぐってのエピソードのかずかずや秀吉の狂気に近い利久との確執は極端にいえば日本の歴史を左右するほどの事件含みでした。以前、秋山 駿さんが「信長が本当に茶の湯に打ち込んでいたかは疑問だ」と著書に書いておられたと思いますが、弟の有楽斎が武士を捨て茶道に打ち込んだのはなぜだったのでしょうか。彼が家康からもらった数寄屋橋御門近くの土地が有楽町の起こりで、あのあたりに彼の屋敷があったからだというのは果たして本当でしょうか。

  




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切支丹禁制の高札は「五郎丸」にあったか

2015-11-29 15:24:21 | 活版印刷のふるさと紀行

 岐阜市歴史博物館で切支丹禁制の高札をみました。

 定(さだめ)一、切支丹宗門之儀是迄御制禁之通固ク可相守事(キリシタン宗門の儀はこれまで通り固くあい守るべきこと)一、邪宗門の儀禁止の事(邪宗門の儀は固く禁止そうろうなこと)慶応四年三月太政官

 キリシタン禁制の高札としては多少の違いがあるものの、同じ慶応4年、1868のあちこちに残っている高札と内容は同じです。島原の乱以降、極端にキリシタンが圧迫されたご時世の中でもこの地区は切支丹に好意的だった織田信長のお膝元だけに、私としては宗門改めは比較的おだやかだったと考えたいのですが、幕府が宗門改めの専任の役人をおき、高札管理を厳しくするように諸大名に号令したのが寛文4年(1664)からだといいますから、彼の死後80年、もう信長の効き目はなかったでありましょう。

 ところでこの高札がどこの高札場にあったものかは確認できませんでしたが、私は「五郎丸」あたりではなかったのかと想像します。ここからは知ったかぶりで申しわけありませんが、いまの岐阜市や一宮市あたりは信長以来キリシタンの多い土地柄だったようです。とくに犬山市の五郎丸あたりに信者が多かったと聞きますから。車窓から五郎丸の地名標識を見たときにこうヒラメイタのです。

 犬山といえばのちに犬山城主になる尾張藩家老だった成瀬正虎がキリシタンだったので弾圧に手心を加えていた尾張藩が1659年、正虎死後このあたりを厳しく取り締まるようにして何十人もの検挙者を江戸や名古屋に送ったといいます。

 ところで、この高札の掲示された慶応四年といえば1868年です。その4年後の明治5年、1872に岩倉使節団がアメリカをはじめフランス、イギリス、ベルギーなど行く先々で日本のキリスト教禁教を責められ、信教の自由を説かれて頭をかかえた話は有名です。高札のことが宣教師を通じて本国に伝わっていたのです。しかし、晴れて日本で信教の自由が具体化したのは明治22年、1889大日本帝国憲法の発布まで待たねばなりませんでした。





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明治村で活版印刷機発見

2015-11-27 10:28:39 | 活版印刷のふるさと紀行

 神田川大曲塾の秋季研修旅行で「明治村」に行ってきました。最初に訪ねたのは学芸員の中井彩子さんのレクチュアに刺激されて村内地図と首っ引きで明治村4丁目の鉄道寮新橋工場(機械館)でした。

 明治村は今年で50周年、開村当初とは比較にならないほど展示されている遺構建物も展示品もコース設定やインフォメーションも充実していました。さすがと名鉄さんの社会貢献と感服した次第。

 さて、目的の鉄道寮機械館は明治5年にほとんどの建築材料をイギリスから輸入してイギリス人技師の指導のもと建てられたものです。いわゆる「新橋ステーション」の機関車修復所のプレハブ建物を再現したものらしいのですが、機械館の別名どうり、館内には明治時代の機械類が展示されておりました。

 紡績工場で使われていたリング精紡機や菊のご紋章つきの平削盤のような重要文化財にまじって明治生まれの活版手引き印刷機が展示されていたのですが、これは文化財ではありませんから少々肩身が狭そうでした。

 たしかミズノ・プリンティング・ミュージアムにあったと思いますが、築地活版製造所が月島分工場で明治42年に製造したロール機械の停止円筒式活版印刷機でA半裁判、8ページ掛け、説明板には札幌の鉄道局で使われていたとありました。手引き印刷機ではありますが、弾み車をつけて人力でハンドルを引っ張って回すこともあったかもしれません。 そのすぐ隣にめずらしい乗車券の印刷機もありました。




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未来の あたりまえをつくる。

2015-11-01 07:54:01 | 活版印刷のふるさと紀行

 

 この1週間は読書週間であったり、「文字・活字文化の日」があったりしているのに、ハロウィーンの百万分の一ほども盛り上がりがありません。当然といえば当然ですが、私のように印刷文化の研究者にとっては歯ぎしりしたいような気持ちです。

 ところで、最近、DNP、大日本印刷の未来のあたりまえをつくるというテレビコマーシャルにときどき遭遇します。1.知とコミュニケーション2.食とヘルスケア3.住まいとモビリティ4.環境とエネルギーという4つの領域でDNPは未来のあたりまえをつくっていきたいという企業のありようを標榜しているのです。

 大日本印刷の創業は1876年、明治9年です。おそらくこの140年の社歴の中でほぼ100年は活字や画像を紙の上に印刷する「印刷」が同社の主要業務でありました。それがシャドウマスクやフォトマスクで代表される印刷技術を応用した領域への進出に始まって上記のような「未来のあたりまえをつくる」企業に変身しつつあることは頼もしいと思います。

 ところが現在、印刷産業は企業数も出荷額もかなり下降線をたどっております。メディアの変貌がどうしてもいわゆる従来型の「印刷」に影響を及ぼしてしまったからです。統計で見ますと、日本でもアメリカでも印刷機の稼働率は30パーセントくらいです。稼働率をあげるために通販印刷の会社から仕事を受注する方策をとっている会社もありますが、そうすると自社の営業力が低下するという悩みが出てきてしまうようです。

 いまや印刷産業全体で将来ビジョンに真剣に取り組むところにさしかかっています。未来のあたりまえをつくるコマーシャルをみながら考えさせられます。

 

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21世紀の「琳派」とご対面」

2015-10-06 15:44:43 | 活版印刷のふるさと紀行

 

 



今年2015年が本阿弥光悦が京都洛北に光悦村を開いて400年ということで「琳派」が大モテです。私も教科書で俵屋宗達の「風神雷神図」や印刷史の勉強で「嵯峨本と本阿弥光悦」にはおなじみです。友人の中には京都近代美術館や京都国立博物館に琳派400年遠征を試みようとする人もおりますが、私は昨日、ギンザ・グラフィック・ギャラリーで10人のグラフィツクデザイナーによる競演と銘打った『21世紀琳派ポスターズ』を見てきました

 顔ぶれは50音順で浅羽克己・奥村ゆきまさ・葛西 薫・勝井三雄・佐藤晃一・永井一正・中條正義・服部一成・原研哉・松永真という豪華さ、欲を言えば田中一光さんがご健在ならば。

 そういえば、展覧会のリーフレットに美術史家で明治学院大学教授の山下祐二さんが書いておられるのを引用させていただくと「16~17世紀の俵屋宗達、17世紀~18世紀の尾形光琳、18~19世紀の酒井抱一。およそ100年ごとに、直接の師弟関係ではなく私淑というかたちで、琳派の系譜は継承されてきました」とあり、田中一光を「20世紀琳派」に挙げてられ、この21世紀琳派ポスターズで10人のデザイナーに琳派からインスパイアされた「21世紀の琳派」を期待されているようでした。

 10人のデザイナーが1作品ずつ、計10作品が1階と地階に5作品ずつ展示されている贅沢な展覧会、とくに茶室のイメージでしょうか、躙り口こそありませんが和室風で低い天井の木組みスペースの中で、まるで襖絵か屏風絵を見るような視覚で大作に向かい合える素敵な空間でした。

 会期は10月27日までです。21世紀のRINPAはめいめいでご鑑賞いただくとして、私がいちばん長逗留したのは中條正義作品の前でした。                                          






















 とにかく10人でひとり1作、1階と地階に5作品ずつ、大作が茶室をイメージしたかのような木組みのスペースに展示されていて、躙り口こそありませんがその空間で21世紀の琳派に向かい合うことが出来る贅沢な展覧会でありました。

 







 

 

 

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印刷とSNSのコンテクストくらべ

2015-09-18 11:58:11 | 活版印刷のふるさと紀行

 国会の紛争、限りない日本国の退潮をあざ笑うように大雨による堤防の決壊で多くの方が被害に遇われたかと思うと今朝は津浪襲来、収穫の秋を目前にしての最近の異常気象には、つい、暗い気持ちをますますエスカレートさせられます。

 昨日は定例の印刷図書館の会がありました。ひどい雨の中を大きめの傘をさして出かけましたら、通りががりに花の終わりの「萩」を見つけました。炎暑につづく長雨、秋の七草のような風情皆無の最近の気象はさみしいものです。

 さみしいといえば、印刷クラブで最初の話題は16日に終わった「IGAS2015(アイガス 国際総合印刷機材展)」が今年はいかにも寂しかったということでした。東京ビックサイトを会場に印刷産業関連の人が連日ゴマンと押しかけた以前の状景をまのあたりにしていた旧印刷人にとっては無念でさえありました。

 そのあと、同じ会場で開幕した「ゲームショー」が盛況なだけに、考えさせられることしきりです。 月並みな見方をすれば、印刷機材はますます進化しているのに、印刷のデジタル化でだれでも簡単に印刷できるようになったこと、印刷事業所や印刷従事者の減少もひとつの理由かもしれませんが、それだけではないはず、その原因探しから、結局は低迷続く印刷産業をもりたてるためにはどうしたらいいかという毎度の大テーマに行きつき、カンカンガクガクの2時間でした。

 その中で個人的にいちばん興味をそそられたのはコンテクストontextと印刷を論じあったことです。コンテクストは文脈とか脈絡とかいう意味だと思っているのですが最近はIT分野でもいろいろな使われ方をしております。

 話は飛びますが、今朝の各紙に文化庁の国語世論調査の結果が出ていました。言葉の意味や手書き文字の字形などが世代間でバラつきが在ること例示されていましたが、要はこれらはコミュニケーションのもとになるものです。、コンテクストといってもよいと思います。

 そこで「印刷」とちかごろ流行りの「SNS」,ラインやフェースブックやツイッターなどとをくらべてコンテクストについて論じたというわけです。さて、結果は。ご想像に任せます。








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紙メディアのレイアウト

2015-09-12 07:07:16 | 活版印刷のふるさと紀行

 またしても自然災害の前に人間の無力さを痛感させられるような光景をさんざんテレビで見な、くてはなりませんでした。9月11日の茨城県常総市の鬼怒川の堤防決壊であり、宮城県大崎市の渋井川がそれに続きました。

 大水の中で孤立してしまった被災者がヘリで救助されるテレビの画面に見入るだけの自分の無力さがつくづく情けない気がします。

 そんな中で不謹慎な誹りを免れませんが、翌12日の朝刊紙面を見て考えさせられたことは紙メディアのレイアウトについてです。どの新聞も決壊を伝える社会面いっぱいにレイアウトした人の緊張と興奮がそのまま伝わってきました。

 私は新聞の場合、どの段階で、どんな担当の人に紙面レイアウトが任されているのか知りませんが、雑誌や書籍の場合、編集者や専門レイアウターがいかにわかりやすく、効果的な記事割り付けをするかに心を砕いてシノギを削っているかは知っています。

 見出しはどのような大きさ、どのようなフォントを使ってどこに置くか、写真や図版はどのように配置するか経験と知恵を絞ってのレイアウトほど、やり甲斐のあるしごとです。その点、インターネットのホームページや電子書籍には、まだ、見にくいレイアウトがあまりにも多い気がいたします。その点、紙メディアのレイアウトには達人芸の人がたくさんいて心強い限りです。

 

大雨が去って久しぶりに晴れた中を歩いてみました。隅田川も濁流でしたし、晴海運河も茶色でした。


 

 

 

 

 

 

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色部義昭さんのWALL展

2015-09-04 11:55:29 | 活版印刷のふるさと紀行

 東京五輪のエンブレムのデザインで俄然グラフィック・デザインに関心が寄せられているさなか、9月3日にギンザ・グラフィック・ギャラリー第349回展が開幕しました。

 案内リーフレットのオモテ面一杯に「中央区銀座七丁目7」のGGG所在地の番地表示プレートが印刷されているのにオヤッと思われた人も多いのではないでしょうか。

 これは今回の展覧会の主人公色部義昭さんのお仕事のほんの一例。それこそ五年後にオリンピックを迎える東京の町名サインはかくあるべきというデザイン提案です。

 9月11日(金)19:00から色部義昭さんご本人が会場でギャラリーツアーを催してくださるそうで、そこで1階の新提案デザインと地階の過去のプロジェクト作品の数々をを見ながら色部さんご自身のデザインに対する考え方やとりくみ姿勢を直接うかがうことが出来るうれしい企画があります。

 展覧会のタイトルはWALLです。ぜひ、色部さんのデザイン理念を象徴するWALLの真髄に触れるべく11日にGGGにいらっしゃることをお奨めします。なお会期は28日(金)までです。




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消えてしまった「夏模様」

2015-09-01 11:29:47 | 活版印刷のふるさと紀行

 8月が終わってしまいました。それにしても、ついこの間までのあの酷暑はどこへ行ってしまったのでしょう。冷蔵庫にしまったままのスイカが凍っておりました。

 ふっと思い出したのは井上陽水の「少年時代」の歌い出しです。そして酔っぱらって、歌詞にある私の心の夏模様について激論したことを思い出しました。

♪夏が過ぎ風あざみ  誰のあこがれにさまよう 青空に残される私の心の夏模様 …

 いずれにしても8月の終わり数日とともに夏模様は見事に消えてしまいました。そして、今日、9月1日、東京は雨、煙ったビル群の上でピカッ、雷鳴さえ轟くのですから理解に苦しむ気象です。

 昨日はわがふるさと、愛知県岡崎のコンビニで立て籠もり、人質をとった事件が報道されていました。事件のあった町名で私には場所が想像できませんが、ああいうノンビリした田舎町でも警官が突入しなくてはならないような兇悪事件が起きるようになってしまったのかとテレビの画面に見入りました。

 最近では寝屋川の男女中学生の殺傷事件、東京、中野の若い女性の変死事件、謎多いJR東日本のケーブルの不審火事件、どれもこれも無気味で理解に苦しみます。同じように、東京五輪のエンブレム問題も安全保障関連法案をめぐる国会の動きもしかりです。ああ。

 

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