正史『三国志』魏書・東夷伝「倭人」(略称『魏志倭人伝』)
●原文
倭人在帯方東南大海之中、依山島為国邑。旧百余国。
漢時有朝見者。今使訳所通三十国。
従郡至倭、循海岸水行歴韓国、乍南乍東到其北岸狗邪韓国。七千余里。
始度一海、千余里至対海国。其大官曰卑狗、副曰卑奴母離。所居絶島、方可四百余里。土地山険多深林、道路如禽鹿径。有千余戸。無良田食海物自活、乗船南北巿糴。
又南渡一海千余里、名曰瀚海。至一大国。官亦曰卑狗、副曰卑奴母離。方可三百里。多竹木叢林、有三千許家。差有田地、耕田猶不足食、亦南北巿糴。
又渡一海千余里、至末盧国。有四千餘戸。濱山海居。草木茂盛、行不見前人。好捕魚鰒、水無深浅皆沈没取之。
東南陸行五百里、到伊都国。官曰爾支、副曰泄謨觚、柄渠觚。有千余戸。世有王皆統属女王国。郡使往来常所駐。
東南至奴国、百里。官曰兕馬觚、副曰卑奴母離。有二万余戸。
東行至不弥国、百里。官曰多模、副曰卑奴母離、有千余家。
南至投馬国、水行二十日。官曰弥弥、副曰弥弥那利、可五万余戸。
南至邪馬壹国、女王之所都。水行十日、陸行一月。官有伊支馬、次曰弥馬升、次曰弥馬獲支、次曰奴佳鞮、可七万余戸。
自女王国以北、其戸数道里可得略載、其余旁国遠絕不可得詳。次有斯馬国、次有已百支国、次有伊邪国、次有都支国、次有弥奴国、次有好古都国、次有不呼国、次有姐奴国、次有対蘇国、次有蘇奴国、次有呼邑国、次有華奴蘇奴国、次有鬼国、次有為吾国、次有鬼奴国、次有邪馬国、次有躬臣国、次有巴利国、次有支惟国、次有烏奴国、次有奴国、此女王境界所盡。
其南有狗奴国、男子為王。其官有狗古智卑狗、不属女王。
自郡至女王国万二千余里。
男子無大小皆黥面文身。自古以来、其使詣中国、皆自称大夫。夏后少康之子封於会稽、断髮文身以避蛟龍之害。今倭水人好沈没捕魚蛤、文身亦以厭大魚水禽。後稍以為飾、諸国文身各異、或左或右、或大或小、尊卑有差。計其道里、当在会稽・東冶之東。
其風俗不淫、男子皆露紒、以木棉招頭。其衣横幅、但結束相連、略無縫。婦人被髮屈紒、作衣如単被、穿其中央貫頭衣之。
種禾稲、紵麻、蚕桑緝績。出細紵、縑緜。其地無牛馬虎豹羊鵲。兵用矛、楯、木弓。木弓短下長上、竹箭或鉄鏃或骨鏃。所有無與儋耳・朱崖同。
倭地温暖、冬夏食生菜。皆徒跣。
有屋室、父母兄弟臥息異処。
以朱丹塗其身体、如中国用粉也。
食飲用籩豆、手食。
其死有棺無槨、封土作冢。始死停喪十余日、当時不食肉、喪主哭泣、他人就歌舞飲酒。已葬、挙家詣水中澡浴、以如練沐。
其行来渡海詣中国、恒使一人、不梳頭、不去蟣蝨、衣服垢汚、不食肉、不近婦人、如喪人、名之為持衰。若行者吉善、共顧其生口財物。若有疾病遭暴害、便欲殺之、謂其持衰不謹。
出真珠、青玉。其山有丹。
其木有楠、杼、豫樟、楺櫪、投橿、烏号、楓香、其竹篠簳、桃支。
有薑、橘、椒、蘘荷、不知以為滋味。
有獮猴、黒雉。
其俗挙事行来、有所云為、輒灼骨而卜。以占吉凶、先告所卜。其辞如令亀法、視火坼占兆。
其会同座起、父子男女無別。
人性嗜酒。
見大人所敬、但搏手以当跪拝。
(魏略曰:其俗不知正歲四節、但計春耕秋收為年紀)
其人寿考、或百年或八九十年。
其俗、国大人皆四五婦、下戸或二三婦。
婦人不淫、不妒忌。
不盜窃、少諍訟。其犯法、軽者没其妻子、重者滅其門戸及宗族。
尊卑、各有差序、足相臣服。
收租賦。有邸閣国。
国有市、交易有無、使大倭監之。
自女王国以北、特置一大率、檢察諸国、諸国畏憚之。常治伊都国、於国中有如刺史。王遣使詣京都帶方郡諸韓国及郡使倭国、皆臨津搜露。伝送文書賜遺之物詣女王、不得差錯。
下戸與大人相逢道路、逡巡入草。伝辞説事、或蹲或跪、両手據地、為之恭敬。対応聲曰噫、比如然諾。
其国本亦以男子為王。住七八十年、倭国乱相攻伐歴年。乃共立一女子為王。名曰卑弥呼。事鬼道能惑衆。
年已長大無夫婿、有男弟佐治国。自為王以来、少有見者。以婢千人自侍。唯有男子一人、給飲食伝辞出入居処。
宮室楼観、城柵厳設、常有人持兵守衛。
女王国東渡海千余里、復有国、皆倭種。又有侏儒国在其南、人長三四尺。去女王四千余里。又有裸国、黒歯国。復在其東南、船行一年可至。
参問倭地、絶在海中洲島之上、或絶或連周旋可五千余里。
景初二年六月、倭女王遣大夫難升米等詣郡、求詣天子朝献。太守劉夏、遣吏将送詣京都。
其年十二月、詔書報倭女王曰
「制詔親魏倭王卑弥呼:帯方太守劉夏遣使送汝大夫難升米、次使都巿牛利奉汝所献男生口四人、女生口六人、班布二匹二丈、以到。汝所在踰遠、乃遣使貢献。是汝之忠孝、我甚哀汝。今以汝為親魏倭王、假金印紫綬、装封付帯方太守假授。汝其綏撫種人、勉為孝順。汝来使難升米、牛利涉遠道路勤労。今以難升米為率善中郎将、牛利為率善校尉、假銀印青綬、引見労賜遣還。
今以絳地交龍錦五匹、絳地縐粟罽十張、蒨絳五十匹、紺青五十匹、答汝所献貢直。又特賜汝紺地句文錦三匹、細班華罽五張、白絹五十匹、金八両、五尺刀二口、銅鏡百枚、真珠、鉛丹各五十斤。皆装封付難升米、牛利還到錄受。悉可以示汝国中人、使知国家哀汝、故鄭重賜汝好物也」。
正始元年、太守弓遵遣建中校尉梯儁等、奉詔書印綬詣倭国、拝假倭王、并齎詔賜、金帛、錦罽、刀、鏡、采物。倭王、因使上表答謝恩詔。
其四年、倭王復遣使大夫伊聲耆、掖邪狗等八人、上献生口、倭錦、絳青縑、緜衣、帛布、丹、木□、短弓、矢。掖邪狗等、壹拝率善中郎将印綬。
其六年、詔賜倭難升米黃幢、付郡假授。
其八年、太守王頎到官。倭女王卑弥呼與狗奴国男王卑弥弓呼素不和。遣倭載斯、烏越等詣郡説相攻擊状。遣塞曹掾史張政等、因齎詔書黃幢、拝假難升米為檄告諭之。
卑弥呼以死、大作冢。系百余步。殉葬者百余人。
更立男王、国中不服、更相誅殺。当時殺千余人。復立卑弥呼宗女壹與年十三為王、国中遂定。
政等以檄告諭壹與。
壹與遣倭大夫率善中郎将掖邪狗等二十人送政等還。因詣臺、献上男女生口三十人、貢白珠五千孔、青大句珠二枚、異文雜錦二十匹。
●読み下し
倭人は帯方東南の大海の中に在り、山島に依りて国邑を為す。旧百余国。
漢の時朝見する者あり、今使訳して通じる所三十国。
郡より倭に至るには、海岸に循い水行し韓国を歴て乍ち南し乍ち東し、その北岸、狗邪韓国に到る。七千余里。
始めて一海を度る。千余里。対馬(対海)国に至る。其の大官を卑狗と曰い、副を卑奴母離と曰う。居る所絶島にして、方四百余里可り。土地山険しく深林多く、道路は禽鹿の径の如し。千余戸あり。良田無く海物を食して自活し、船に乗って南北と糴を市す。
又南に一海を渡る。千余里。名づけて瀚海と曰う。一支国(一大国)に至る。官を亦卑狗と曰い、副を卑奴母離と曰う。方三百里可り。竹木叢林多し。三千家許り有り。差田地あり、田を耕すも猶食足らず、亦南北と糴を市す。
又一海を渡る。千余里。末盧国に至る。四千余戸あり。山海に濱して居る。草木茂盛し行くに前人を見ず。魚鰒を好んで捕えるも、水の深浅に無く皆沈没してこれを取る。
東南、陸行五百里、伊都国に到る。官を爾支と曰い、副を泄謨觚、柄渠觚と曰う。千余戸あり。世王あり皆女王国の統ぶるに属す。郡使の往来して常に駐まる所。
東南、奴国に至る。百里。官を兕馬觚と曰い、副を卑奴母離と曰う。二万余戸有り。
東行、不弥国に至る。百里。官を多模と曰い、副を卑奴母離と曰う。千余家有り。
南、投馬国に至る。水行二十日。官を弥弥と曰い、副を弥弥那利と曰う。五万余戸可り。
南、邪馬臺国(邪馬壹国)に至る。女王の都する所。水行十日、陸行一月。官に伊支馬有り、次を弥馬升と曰い、次を弥馬獲支と曰い、次を奴佳鞮と曰いう。七万余戸可り。
女王国以北はその戸数道里を略載し得るべくも、その余の旁国は遠絶にして詳かにし得るべからず。次に斯馬国有り、次に已百支国有り、次に伊邪国有り、次に都支国有り、次に弥奴国有り、次に好古都国有り、次に不呼国有り、次に姐奴国有り、次に対蘇国有り、次に蘇奴国有り、次に呼邑国有り、次に華奴蘇奴国有り、次に鬼国有り、次に為吾国有り、次に鬼奴国有り、次に邪馬国有り、次に躬臣国有り、次に巴利国有り、次に支惟国有り、次に烏奴国有り、次に□奴国有り、これ女王の境界の盡きる所。
その南に狗奴国有り。男子を王と為す。その官に狗古智卑狗有り。女王に属せず。
郡より女王国に至るに万二千余里。
男子は大小となく、みな黥面文身す。古え以来、その使中国に詣るに皆大夫と自称す。
夏の后・少康の子、会稽を封じられ断髮文身をもって蛟龍の害を避ける。今、倭の水人好んで沈没し魚蛤を捕うるも、文身は亦もって大魚・水禽を厭う。後にややもって飾りと為すも、諸国の文身は各異なる。或は左、或は右、或は大、或は小、尊卑に差あり。その道里を計るに、当に会稽・東冶の東に在り。
その風俗は淫ならず。男子はみな露紒、木棉をもって頭に招く。その衣は横幅をただ結束して相連ね、おおよそ縫うことなし。婦人は被髮屈紒、衣を作るに単被のごとくその中央を穿ち頭を貫いてこれを衣る。
禾稲・紵麻を種え、蚕桑・緝績して細紵・縑緜を出す。その地に牛・馬・虎・豹・羊・鵲なし。兵に矛・楯・木弓を用いる。木弓は下を短く上を長くし、竹箭は或は鉄鏃、或は骨鏃。有無する所は儋耳・朱崖と同じ。
倭地は温暖にして、冬夏に生菜を食す。
みな徒跣。
屋室有り、父母兄弟、臥息する処を異にす。
朱丹をもってその身体に塗る。中国の粉を用いる如きなり。
食飲には籩豆を用い、手で食す。
その死に棺有り槨なし。土を封って冢を作る。死するに、始め喪を停めること十余日。時に当って肉を食わず、喪主は哭泣し、他人は歌舞飲酒に就く。已に葬り、家を挙げて水中に詣って澡浴す。もって練沐の如し。
その行来に渡海して中国に詣るに、恒に一人をして梳頭せず、蟣蝨を去らせず衣服を垢汚にし、肉を食わせず婦人を近づけず喪人の如くす。これを名づけて持衰と為す。若し行く者に吉善なれば、その生口・財物と共に顧る。若し疾病あり暴害に遭えば、その持衰謹まずと謂い、便ちこれを殺さんと欲す。
真珠・青玉を出す。その山に丹有り。
その木には楠、杼、豫樟、楺櫪、投橿、烏號、楓香有り。その竹には篠簳、桃支。
薑、橘、椒、蘘荷有るも、もって滋味と為すを知らず。
獮猴、黒雉有り。
その俗、事を挙げて行来するに、云為する所あれば輒ち骨を灼いて卜し、もって吉凶を占い、先ず卜する所を告げる。その辞は令亀法の如く、火坼を視て兆を占う。
その会同・座起には父子男女の別なし。
人の性、酒を嗜む。
大人を敬する所を見るに、ただ手を搏ち、もって跪拝に当てる。
(魏略に曰う:その俗、正歲四節を知らず、ただ春耕秋收を計り年紀と為す)
その人の寿考、或いは百年、或いは八~九十年。
その俗、国の大人はみな四~五婦、下戸は或いは二~三婦。
婦人は淫ならず妒忌せず。
盗窃せず、諍訟少なし。その法を犯さば、軽い者はその妻子を没し、重い者はその門戸および宗族を滅ぼす。
尊卑に各々差序あり、相臣服するに足る。
租賦を收む。国に邸閣有り。
国々に市あり、有無を交易す。大倭をしてこれを監さしむ。
女王国以北は特に一大率を置き、諸国を検察さす。諸国はこれを畏れ憚る。常に伊都国に治す。国中において刺史の如く有り。王、使を遣わして京都、帶方郡、諸韓国に詣るに、および郡の倭国に使するに、皆津に臨んで搜露す。文書・賜遺の物を伝送して女王に詣らすに、錯綜するを得べからず。
下戸は、大人と道路で相逢えば逡巡して草に入る。辞を伝え事を説くに、或いは蹲り或いは跪き、両手は地に據り恭敬を為す。対応の聲は「噫」と曰う。比するに然諾の如し。
その国、本また男子をもって王と為す。住るところ七~八十年、倭国乱れ相攻伐して年を歴る。乃ち一女子を共立して王と為す。名を卑弥呼と曰う。鬼道能く事とし衆を惑す。
年已に長けて大なるも夫婿なし。男弟有り
て国を治むるを佐く。王と為して以来、見る者あるも少なし。婢千人をもって自らに侍わす。ただ男子一人ありて、飲食を給し辞を伝えるに居処に出入りす。
宮室・楼観・城柵を厳かに設け、常に人あり兵を持して守衛す。
女王国の東、海を渡ること千余里に復国あり。みな倭種なり。又侏儒国有り、その南に在り。人の長三~四尺、女王を去ること四千余里。又裸国、黒歯国有り、復その東南に在り。船行一年にして至るべし。
倭地を参問するに、絶えて海中洲島の上に在り、或いは絶え或いは連なり、周旋五千余里ばかり。
景初二年六月、倭の女王、大夫難升米等を遣わし郡に詣らせ、天子を詣でて朝献するを求む。太守劉夏、吏を遣わして将に送りて京都に詣らす。
その年の十二月、詔書に報じて倭の女王に曰く。
「親魏倭王卑弥呼に制詔す。帯方太守劉夏、使を遣わして汝が大夫難升米、次使都巿牛利を送り、汝が献じる所の男生口四人、女生口六人、班布二匹二丈を奉じもって到る。汝の在る所踰かに遠きに、乃ち使を遣わして貢献す。これ汝の忠孝にして、我甚だ汝を哀れむ。
今、汝をもって親魏倭王と為し、金印紫綬を假し、装封して帯方太守に付して假授す。汝、その種人を綏撫し、勉めて孝順を為せ。
汝の来使難升米、牛利は遠きに涉り道路を勤労す。今、難升米もって率善中郎将と為し、牛利を率善校尉と為して銀印青綬を假し、引見して労らいを賜えて還し遣わす。
今、絳地交龍の錦五匹、絳地縐粟の罽十張、蒨絳五十匹、紺青五十匹を汝が献じる所の貢直に答える。
又特に汝には紺地句文の錦三匹、細班の華罽五張、白絹五十匹、金八両、五尺刀二口、銅鏡百枚、真珠、鉛丹各五十斤を賜り、皆装封して難升米、牛利に付す。還り到らば錄受し、悉くをもって汝の国中の人に示し、国家の汝を哀れむを知らしむべし。故に鄭重に汝の好物を賜るものなり」。
正始元年、太守弓遵、建中校尉梯儁等を遣わし、詔書・印綬を奉じて倭国に詣り、倭王に拝假す。并びに詔を齎して金帛、錦罽、刀、鏡、采物を賜る。倭王、使に因りて上表し、詔恩に答えて謝す。
その四年、倭王、復大夫伊聲耆、掖邪狗等八人遣わし、生口、倭錦、絳青縑、緜衣、帛布、丹、木□、短弓、矢を上献せしむ。掖邪狗等に率善中郎将印綬を壹拝す。
その六年、詔して倭の難升米に黃幢を賜り、郡に付して假授す。
その八年、太守王頎到官。倭の女王卑弥呼と狗奴国の男王卑弥弓呼は素より和せず。倭の載斯烏越等を遣わして郡に詣り、相攻擊する状を説かす。塞曹掾史張政等を遣わし、因りて詔書、黃幢をもたらし、難升米に拝假し、檄を為してこれを告諭す。
卑弥呼以に死し、大いに冢を作る。径し百余步。殉じて葬られる者百余人。
更えて男王を立てるも国中服さず、更相誅殺し、時当に千余人を殺す。復卑弥呼の宗女臺與(壹與)、年の十三なるを立てて王と為す。国中遂に定まる。
政等、檄をもって臺與に告諭す。
臺與、倭の大夫率善中郎将掖邪狗等二十人を遣わし、政等の還るを送る。因りて臺に詣り、男女生口三十人を献上し、白珠五千孔、青大句珠二枚、異文雜錦二十匹を貢す。
●原文
倭人在帯方東南大海之中、依山島為国邑。旧百余国。
漢時有朝見者。今使訳所通三十国。
従郡至倭、循海岸水行歴韓国、乍南乍東到其北岸狗邪韓国。七千余里。
始度一海、千余里至対海国。其大官曰卑狗、副曰卑奴母離。所居絶島、方可四百余里。土地山険多深林、道路如禽鹿径。有千余戸。無良田食海物自活、乗船南北巿糴。
又南渡一海千余里、名曰瀚海。至一大国。官亦曰卑狗、副曰卑奴母離。方可三百里。多竹木叢林、有三千許家。差有田地、耕田猶不足食、亦南北巿糴。
又渡一海千余里、至末盧国。有四千餘戸。濱山海居。草木茂盛、行不見前人。好捕魚鰒、水無深浅皆沈没取之。
東南陸行五百里、到伊都国。官曰爾支、副曰泄謨觚、柄渠觚。有千余戸。世有王皆統属女王国。郡使往来常所駐。
東南至奴国、百里。官曰兕馬觚、副曰卑奴母離。有二万余戸。
東行至不弥国、百里。官曰多模、副曰卑奴母離、有千余家。
南至投馬国、水行二十日。官曰弥弥、副曰弥弥那利、可五万余戸。
南至邪馬壹国、女王之所都。水行十日、陸行一月。官有伊支馬、次曰弥馬升、次曰弥馬獲支、次曰奴佳鞮、可七万余戸。
自女王国以北、其戸数道里可得略載、其余旁国遠絕不可得詳。次有斯馬国、次有已百支国、次有伊邪国、次有都支国、次有弥奴国、次有好古都国、次有不呼国、次有姐奴国、次有対蘇国、次有蘇奴国、次有呼邑国、次有華奴蘇奴国、次有鬼国、次有為吾国、次有鬼奴国、次有邪馬国、次有躬臣国、次有巴利国、次有支惟国、次有烏奴国、次有奴国、此女王境界所盡。
其南有狗奴国、男子為王。其官有狗古智卑狗、不属女王。
自郡至女王国万二千余里。
男子無大小皆黥面文身。自古以来、其使詣中国、皆自称大夫。夏后少康之子封於会稽、断髮文身以避蛟龍之害。今倭水人好沈没捕魚蛤、文身亦以厭大魚水禽。後稍以為飾、諸国文身各異、或左或右、或大或小、尊卑有差。計其道里、当在会稽・東冶之東。
其風俗不淫、男子皆露紒、以木棉招頭。其衣横幅、但結束相連、略無縫。婦人被髮屈紒、作衣如単被、穿其中央貫頭衣之。
種禾稲、紵麻、蚕桑緝績。出細紵、縑緜。其地無牛馬虎豹羊鵲。兵用矛、楯、木弓。木弓短下長上、竹箭或鉄鏃或骨鏃。所有無與儋耳・朱崖同。
倭地温暖、冬夏食生菜。皆徒跣。
有屋室、父母兄弟臥息異処。
以朱丹塗其身体、如中国用粉也。
食飲用籩豆、手食。
其死有棺無槨、封土作冢。始死停喪十余日、当時不食肉、喪主哭泣、他人就歌舞飲酒。已葬、挙家詣水中澡浴、以如練沐。
其行来渡海詣中国、恒使一人、不梳頭、不去蟣蝨、衣服垢汚、不食肉、不近婦人、如喪人、名之為持衰。若行者吉善、共顧其生口財物。若有疾病遭暴害、便欲殺之、謂其持衰不謹。
出真珠、青玉。其山有丹。
其木有楠、杼、豫樟、楺櫪、投橿、烏号、楓香、其竹篠簳、桃支。
有薑、橘、椒、蘘荷、不知以為滋味。
有獮猴、黒雉。
其俗挙事行来、有所云為、輒灼骨而卜。以占吉凶、先告所卜。其辞如令亀法、視火坼占兆。
其会同座起、父子男女無別。
人性嗜酒。
見大人所敬、但搏手以当跪拝。
(魏略曰:其俗不知正歲四節、但計春耕秋收為年紀)
其人寿考、或百年或八九十年。
其俗、国大人皆四五婦、下戸或二三婦。
婦人不淫、不妒忌。
不盜窃、少諍訟。其犯法、軽者没其妻子、重者滅其門戸及宗族。
尊卑、各有差序、足相臣服。
收租賦。有邸閣国。
国有市、交易有無、使大倭監之。
自女王国以北、特置一大率、檢察諸国、諸国畏憚之。常治伊都国、於国中有如刺史。王遣使詣京都帶方郡諸韓国及郡使倭国、皆臨津搜露。伝送文書賜遺之物詣女王、不得差錯。
下戸與大人相逢道路、逡巡入草。伝辞説事、或蹲或跪、両手據地、為之恭敬。対応聲曰噫、比如然諾。
其国本亦以男子為王。住七八十年、倭国乱相攻伐歴年。乃共立一女子為王。名曰卑弥呼。事鬼道能惑衆。
年已長大無夫婿、有男弟佐治国。自為王以来、少有見者。以婢千人自侍。唯有男子一人、給飲食伝辞出入居処。
宮室楼観、城柵厳設、常有人持兵守衛。
女王国東渡海千余里、復有国、皆倭種。又有侏儒国在其南、人長三四尺。去女王四千余里。又有裸国、黒歯国。復在其東南、船行一年可至。
参問倭地、絶在海中洲島之上、或絶或連周旋可五千余里。
景初二年六月、倭女王遣大夫難升米等詣郡、求詣天子朝献。太守劉夏、遣吏将送詣京都。
其年十二月、詔書報倭女王曰
「制詔親魏倭王卑弥呼:帯方太守劉夏遣使送汝大夫難升米、次使都巿牛利奉汝所献男生口四人、女生口六人、班布二匹二丈、以到。汝所在踰遠、乃遣使貢献。是汝之忠孝、我甚哀汝。今以汝為親魏倭王、假金印紫綬、装封付帯方太守假授。汝其綏撫種人、勉為孝順。汝来使難升米、牛利涉遠道路勤労。今以難升米為率善中郎将、牛利為率善校尉、假銀印青綬、引見労賜遣還。
今以絳地交龍錦五匹、絳地縐粟罽十張、蒨絳五十匹、紺青五十匹、答汝所献貢直。又特賜汝紺地句文錦三匹、細班華罽五張、白絹五十匹、金八両、五尺刀二口、銅鏡百枚、真珠、鉛丹各五十斤。皆装封付難升米、牛利還到錄受。悉可以示汝国中人、使知国家哀汝、故鄭重賜汝好物也」。
正始元年、太守弓遵遣建中校尉梯儁等、奉詔書印綬詣倭国、拝假倭王、并齎詔賜、金帛、錦罽、刀、鏡、采物。倭王、因使上表答謝恩詔。
其四年、倭王復遣使大夫伊聲耆、掖邪狗等八人、上献生口、倭錦、絳青縑、緜衣、帛布、丹、木□、短弓、矢。掖邪狗等、壹拝率善中郎将印綬。
其六年、詔賜倭難升米黃幢、付郡假授。
其八年、太守王頎到官。倭女王卑弥呼與狗奴国男王卑弥弓呼素不和。遣倭載斯、烏越等詣郡説相攻擊状。遣塞曹掾史張政等、因齎詔書黃幢、拝假難升米為檄告諭之。
卑弥呼以死、大作冢。系百余步。殉葬者百余人。
更立男王、国中不服、更相誅殺。当時殺千余人。復立卑弥呼宗女壹與年十三為王、国中遂定。
政等以檄告諭壹與。
壹與遣倭大夫率善中郎将掖邪狗等二十人送政等還。因詣臺、献上男女生口三十人、貢白珠五千孔、青大句珠二枚、異文雜錦二十匹。
●読み下し
倭人は帯方東南の大海の中に在り、山島に依りて国邑を為す。旧百余国。
漢の時朝見する者あり、今使訳して通じる所三十国。
郡より倭に至るには、海岸に循い水行し韓国を歴て乍ち南し乍ち東し、その北岸、狗邪韓国に到る。七千余里。
始めて一海を度る。千余里。対馬(対海)国に至る。其の大官を卑狗と曰い、副を卑奴母離と曰う。居る所絶島にして、方四百余里可り。土地山険しく深林多く、道路は禽鹿の径の如し。千余戸あり。良田無く海物を食して自活し、船に乗って南北と糴を市す。
又南に一海を渡る。千余里。名づけて瀚海と曰う。一支国(一大国)に至る。官を亦卑狗と曰い、副を卑奴母離と曰う。方三百里可り。竹木叢林多し。三千家許り有り。差田地あり、田を耕すも猶食足らず、亦南北と糴を市す。
又一海を渡る。千余里。末盧国に至る。四千余戸あり。山海に濱して居る。草木茂盛し行くに前人を見ず。魚鰒を好んで捕えるも、水の深浅に無く皆沈没してこれを取る。
東南、陸行五百里、伊都国に到る。官を爾支と曰い、副を泄謨觚、柄渠觚と曰う。千余戸あり。世王あり皆女王国の統ぶるに属す。郡使の往来して常に駐まる所。
東南、奴国に至る。百里。官を兕馬觚と曰い、副を卑奴母離と曰う。二万余戸有り。
東行、不弥国に至る。百里。官を多模と曰い、副を卑奴母離と曰う。千余家有り。
南、投馬国に至る。水行二十日。官を弥弥と曰い、副を弥弥那利と曰う。五万余戸可り。
南、邪馬臺国(邪馬壹国)に至る。女王の都する所。水行十日、陸行一月。官に伊支馬有り、次を弥馬升と曰い、次を弥馬獲支と曰い、次を奴佳鞮と曰いう。七万余戸可り。
女王国以北はその戸数道里を略載し得るべくも、その余の旁国は遠絶にして詳かにし得るべからず。次に斯馬国有り、次に已百支国有り、次に伊邪国有り、次に都支国有り、次に弥奴国有り、次に好古都国有り、次に不呼国有り、次に姐奴国有り、次に対蘇国有り、次に蘇奴国有り、次に呼邑国有り、次に華奴蘇奴国有り、次に鬼国有り、次に為吾国有り、次に鬼奴国有り、次に邪馬国有り、次に躬臣国有り、次に巴利国有り、次に支惟国有り、次に烏奴国有り、次に□奴国有り、これ女王の境界の盡きる所。
その南に狗奴国有り。男子を王と為す。その官に狗古智卑狗有り。女王に属せず。
郡より女王国に至るに万二千余里。
男子は大小となく、みな黥面文身す。古え以来、その使中国に詣るに皆大夫と自称す。
夏の后・少康の子、会稽を封じられ断髮文身をもって蛟龍の害を避ける。今、倭の水人好んで沈没し魚蛤を捕うるも、文身は亦もって大魚・水禽を厭う。後にややもって飾りと為すも、諸国の文身は各異なる。或は左、或は右、或は大、或は小、尊卑に差あり。その道里を計るに、当に会稽・東冶の東に在り。
その風俗は淫ならず。男子はみな露紒、木棉をもって頭に招く。その衣は横幅をただ結束して相連ね、おおよそ縫うことなし。婦人は被髮屈紒、衣を作るに単被のごとくその中央を穿ち頭を貫いてこれを衣る。
禾稲・紵麻を種え、蚕桑・緝績して細紵・縑緜を出す。その地に牛・馬・虎・豹・羊・鵲なし。兵に矛・楯・木弓を用いる。木弓は下を短く上を長くし、竹箭は或は鉄鏃、或は骨鏃。有無する所は儋耳・朱崖と同じ。
倭地は温暖にして、冬夏に生菜を食す。
みな徒跣。
屋室有り、父母兄弟、臥息する処を異にす。
朱丹をもってその身体に塗る。中国の粉を用いる如きなり。
食飲には籩豆を用い、手で食す。
その死に棺有り槨なし。土を封って冢を作る。死するに、始め喪を停めること十余日。時に当って肉を食わず、喪主は哭泣し、他人は歌舞飲酒に就く。已に葬り、家を挙げて水中に詣って澡浴す。もって練沐の如し。
その行来に渡海して中国に詣るに、恒に一人をして梳頭せず、蟣蝨を去らせず衣服を垢汚にし、肉を食わせず婦人を近づけず喪人の如くす。これを名づけて持衰と為す。若し行く者に吉善なれば、その生口・財物と共に顧る。若し疾病あり暴害に遭えば、その持衰謹まずと謂い、便ちこれを殺さんと欲す。
真珠・青玉を出す。その山に丹有り。
その木には楠、杼、豫樟、楺櫪、投橿、烏號、楓香有り。その竹には篠簳、桃支。
薑、橘、椒、蘘荷有るも、もって滋味と為すを知らず。
獮猴、黒雉有り。
その俗、事を挙げて行来するに、云為する所あれば輒ち骨を灼いて卜し、もって吉凶を占い、先ず卜する所を告げる。その辞は令亀法の如く、火坼を視て兆を占う。
その会同・座起には父子男女の別なし。
人の性、酒を嗜む。
大人を敬する所を見るに、ただ手を搏ち、もって跪拝に当てる。
(魏略に曰う:その俗、正歲四節を知らず、ただ春耕秋收を計り年紀と為す)
その人の寿考、或いは百年、或いは八~九十年。
その俗、国の大人はみな四~五婦、下戸は或いは二~三婦。
婦人は淫ならず妒忌せず。
盗窃せず、諍訟少なし。その法を犯さば、軽い者はその妻子を没し、重い者はその門戸および宗族を滅ぼす。
尊卑に各々差序あり、相臣服するに足る。
租賦を收む。国に邸閣有り。
国々に市あり、有無を交易す。大倭をしてこれを監さしむ。
女王国以北は特に一大率を置き、諸国を検察さす。諸国はこれを畏れ憚る。常に伊都国に治す。国中において刺史の如く有り。王、使を遣わして京都、帶方郡、諸韓国に詣るに、および郡の倭国に使するに、皆津に臨んで搜露す。文書・賜遺の物を伝送して女王に詣らすに、錯綜するを得べからず。
下戸は、大人と道路で相逢えば逡巡して草に入る。辞を伝え事を説くに、或いは蹲り或いは跪き、両手は地に據り恭敬を為す。対応の聲は「噫」と曰う。比するに然諾の如し。
その国、本また男子をもって王と為す。住るところ七~八十年、倭国乱れ相攻伐して年を歴る。乃ち一女子を共立して王と為す。名を卑弥呼と曰う。鬼道能く事とし衆を惑す。
年已に長けて大なるも夫婿なし。男弟有り
て国を治むるを佐く。王と為して以来、見る者あるも少なし。婢千人をもって自らに侍わす。ただ男子一人ありて、飲食を給し辞を伝えるに居処に出入りす。
宮室・楼観・城柵を厳かに設け、常に人あり兵を持して守衛す。
女王国の東、海を渡ること千余里に復国あり。みな倭種なり。又侏儒国有り、その南に在り。人の長三~四尺、女王を去ること四千余里。又裸国、黒歯国有り、復その東南に在り。船行一年にして至るべし。
倭地を参問するに、絶えて海中洲島の上に在り、或いは絶え或いは連なり、周旋五千余里ばかり。
景初二年六月、倭の女王、大夫難升米等を遣わし郡に詣らせ、天子を詣でて朝献するを求む。太守劉夏、吏を遣わして将に送りて京都に詣らす。
その年の十二月、詔書に報じて倭の女王に曰く。
「親魏倭王卑弥呼に制詔す。帯方太守劉夏、使を遣わして汝が大夫難升米、次使都巿牛利を送り、汝が献じる所の男生口四人、女生口六人、班布二匹二丈を奉じもって到る。汝の在る所踰かに遠きに、乃ち使を遣わして貢献す。これ汝の忠孝にして、我甚だ汝を哀れむ。
今、汝をもって親魏倭王と為し、金印紫綬を假し、装封して帯方太守に付して假授す。汝、その種人を綏撫し、勉めて孝順を為せ。
汝の来使難升米、牛利は遠きに涉り道路を勤労す。今、難升米もって率善中郎将と為し、牛利を率善校尉と為して銀印青綬を假し、引見して労らいを賜えて還し遣わす。
今、絳地交龍の錦五匹、絳地縐粟の罽十張、蒨絳五十匹、紺青五十匹を汝が献じる所の貢直に答える。
又特に汝には紺地句文の錦三匹、細班の華罽五張、白絹五十匹、金八両、五尺刀二口、銅鏡百枚、真珠、鉛丹各五十斤を賜り、皆装封して難升米、牛利に付す。還り到らば錄受し、悉くをもって汝の国中の人に示し、国家の汝を哀れむを知らしむべし。故に鄭重に汝の好物を賜るものなり」。
正始元年、太守弓遵、建中校尉梯儁等を遣わし、詔書・印綬を奉じて倭国に詣り、倭王に拝假す。并びに詔を齎して金帛、錦罽、刀、鏡、采物を賜る。倭王、使に因りて上表し、詔恩に答えて謝す。
その四年、倭王、復大夫伊聲耆、掖邪狗等八人遣わし、生口、倭錦、絳青縑、緜衣、帛布、丹、木□、短弓、矢を上献せしむ。掖邪狗等に率善中郎将印綬を壹拝す。
その六年、詔して倭の難升米に黃幢を賜り、郡に付して假授す。
その八年、太守王頎到官。倭の女王卑弥呼と狗奴国の男王卑弥弓呼は素より和せず。倭の載斯烏越等を遣わして郡に詣り、相攻擊する状を説かす。塞曹掾史張政等を遣わし、因りて詔書、黃幢をもたらし、難升米に拝假し、檄を為してこれを告諭す。
卑弥呼以に死し、大いに冢を作る。径し百余步。殉じて葬られる者百余人。
更えて男王を立てるも国中服さず、更相誅殺し、時当に千余人を殺す。復卑弥呼の宗女臺與(壹與)、年の十三なるを立てて王と為す。国中遂に定まる。
政等、檄をもって臺與に告諭す。
臺與、倭の大夫率善中郎将掖邪狗等二十人を遣わし、政等の還るを送る。因りて臺に詣り、男女生口三十人を献上し、白珠五千孔、青大句珠二枚、異文雜錦二十匹を貢す。