神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

不安と不確実性の時代。

2017年02月17日 | キリスト教
【恐るべきゲーム】ジョルジョ・デ・キリコ(オールポスターズの商品ページよりm(_ _)m)


 不安と不確実性の時代と言われて久しい昨今……自分的にはこんな時こそ、マーリン・キャロザースさんの感謝と讃美を実践すべし!!と願ってやみませんが、何かに(時間やお金や努力といったものを)投資してもそれは報われるとは限らず、時代の先を読むことは困難です。

 なんでも今は、両親の老後の面倒を見るのに二千万円くらい遺産としてもらうとしたら――むしろその二千万円を遺産として欲しいという他の兄弟にお金を譲って、介護の束縛からは解放されていたほうがよい……なんて言いますよね(^^;)

 何故かというと、お墓のこと含め、介護費用っていうのはそれを上回る可能性が大ですし、何より精神的負担が大きいからです。

 もちろん、心情として自分を生み養い育ててくれた両親なのだから、お金のことやそんな利得のことなどは問題でない……という方もたくさんおられるとは思います。でも、人間、その家族ごとにおいて十人十色の人間模様がありますから、そういうところから介護の押しつけあいがはじまったりとか、色々あるのが普通だと思うんですよね。

「不安で不確実」……むしろそれが当たり前。実り多い老後を不安なく迎えるために、若い頃から年金をきちんとかけ、保険にも入り、自分の息子や娘にも迷惑かけないように出来るだけ貯蓄もし……そのように出来るのが理想ですし、そう出来る方、出来ている方は本当に立派だなとも思います。

 でも、人生そんなにうまくいくものではないかというか、うまくいかないほうが今の時代、だんだん普通になってきているのではないでしょうか。


 >>自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。

 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。

 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。

 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。

 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。

 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。

 あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。

 神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。

(マタイの福音書、第6章25~34節)


 との言葉が聖書にはあります。

 いえ、「でもそれ、もう二千年も昔の話でしょお~??」って思う方は多いと思います。

 でも、仮に三億あっても十億あっても、人は幸せになれるとは限らない……と、ちょっとわたし最近思うようになってきました(^^;)

 わたし、宝くじってほとんど買ったことないんですけど(また、買った時にも人に頼まれてとか、そういう感じなので)、おそらく1億でも2億でも、あるいは二千万でも三千万でも――当たれば自分はきっと必ず幸せになれる……と思う方は多いのではないでしょうか。

 でも、最近とある本にこんなことが書いてあるのを読みました。1900年代のロシアで、宝くじではないみたいなんですけど、何かの形でそうしたお金が当たったある家族の、本当にあったお話です。

 ある日突然結構な額のお金が転がり込んできたその家族は――まず、周囲の人々に贈り物をしたそうなんですね。ところが、嫉妬や色々な気持ちがあったためでしょう、むしろそうしたプレゼントは一切ありがたがられなかったそうです(^^;)

 しかもその後、ありあまるお金をとある会社に投資してみたところ、見事に倒産。そして次に投資した会社も……しかも、その時に故意の破産の疑いをかけられて、この四人家族のお父さんは刑務所に入ることになってしまうのです。

 確か、二年とかそのくらいではあったと思うんですけど、でも一度刑務所に入ったという経歴はいつまでも残るものですし、結局のところ――最初からそんな大金など当たらず、それまで通り地道に働いていたほうが、この一家は幸せだったのではないでしょうか。

 また、聖書には>>明日のことは明日が心配する。という言葉もありますけれども、思い煩うなと言われても、思い煩うのがわたしたち人間の習性というものですよね(^^;)

 それと同じく、マーリン・キャロザースさんの「すべてのことを感謝し、神さまを賛美せよ」ということも、わたしたちの本能にはないことです。けれど、明日の思い煩いは神さまに預け、神さまに心配してもらうというのが信仰の秘訣ということですよね。


 >>あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。

(ペテロの手紙第一、第5章7節)


 とも聖書にはあるのですが、なんというか、形としては神さま(イエスさま)に自分の心配ごとや不安に思うことなどを預け――そのかわりに恵みや祝福をいただくのが一番いい信仰の循環だと思うんですよね。

 とにかく「わたしはこのことが不安でたまりません」とか「明日の△□がとても不安でなりません」……といったことを神さまに素直に告白し、その後聖霊さまの満たしを受けるなら、人生が少しずつでも変わっていくと思います(もちろん、中にはある日突然180度色々な事態が変わるという経験をされる方もいらっしゃいますよね)。

 この不安で不確実な時代を生きていくにあたって、一番大切なのは神さまのことばと、そのみことばにより頼んで生きていくことだと一クリスチャンとしてはそのように思って<今>を生きています。

 それではまた~!!





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