神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

カエル化しない現象。

2023年08月30日 | キリスト教
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 あ、ちなみにこれ、例の蛙化現象とはまったく関係のない記事ということで、よろしくお願いしますm(_ _)m

 わたし、ネットで進んでそのワードを検索することまではないものの……それでも、ニュースサイトで何気に表示され、その中に「引きこもり」という記事があると、ほぼ99%そのページを開きます。

 それで、今日本で引きこもってる方の数がびっくりするくらいな数で、いわゆる8050問題と言われてたりするわけですけど……今までわたしがテレビのドキュメンタリーを見たりとか、こうしたネットの記事を読んだり、本を読んだり、人から話を聞いたりしていて思うに、結構共通点が多いんだなって思うんですよね。

 大抵の場合、「真面目ないい子」、「むしろ大人しい」、でも「職場で何かあって」以降は引きこもって働かなくなった……でも、働いている間の勤務態度は真面目そのもので、責任感が強くほとんど無遅刻無欠勤、みたいな。それで、家族がどういうことで困っているかというと、これも異口同音とまでは言わないにしても、言い分としては大体のところ同じなんですよね。

「親が死んだらどうするんだ」、「自分たちが死んだあとのことが心配」、「アルバイトでいいから、せめて働いたくれたら」……それで、ここに兄弟姉妹といった家族が関わってきて、兄や姉や弟や妹などが、なんらかの形で両親(あるいは父親か母親のどちらか)に金銭的援助をしていた場合、負担している家族の怒りというのが、親御さん以上だったりする。

「働かないなら死んでくれ」と言ったこともあるとか、「せめて自立してくれ」とか、「オレだって会社で人間関係その他色々ある。でもみんな、そうしたことを乗り越えて頑張ってるんだぞ」、「それが生きるってことじゃないか」、「みんな、頭おかしくなるギリギリのところで普通の暮らしって奴を保ってるんだ。それなのにおまえは……」的に、ありとあらゆる方法によって怒りをぶつけたり、説教したりしても、とにかく本人は「この面倒で嫌な時間が過ぎ去るのを待ってる」という感じで、ほとんど効果がない。

 わたし的に、「少し不思議だな」とずっと感じてることとして、「そこまで言われたら、せめても職安くらいには行くんじゃないかな」と思うものの、でもたぶん、本人的には「もう働かない・働く気がない」のに、そんなことをしても無意味だという感じなんでしょうね。また、「何故働かないんだ」とか、「その原因を教えてくれ」と言っても、本人は頑として口を閉ざして、その点については語りたがらないというのも、共通点のひとつのような気がします。

 ただ、家族としては「ある日、泣きながら職場から帰ってきて、その後も部屋に閉じこもって泣いていた。その翌日には会社をやめ、以降引きこもって働かなくなった」など、「何かあったらしい」ということだけは察している。でも、「今暫くは静かに見守ろう」と思っていたにしても、引きこもり期間が長くなるにつれ……「みんな、働いていれば大泣きしたいようなことなんて最低でも一度や二度は経験する」、「でもそれを乗り越えてみんな頑張って働いてるんだ」といったように説教するようになる――この気持ちも、すごくよくわかりますよね。

 でも、不登校とか引きこもりといった問題に関して、本人の心理としてはおそらく「学校へ行くくらいなら死んだほうがいい」、「働くくらいなら自分は死ぬ」……これは個人的に思ってることなんですけど、働くとか、行きたくない場所へ行く、顔も見たくない人(上司や同僚、同級生など)と毎日会わなければならないとか、基本的に苦痛とは思います。「そんなもん、誰だってそうだ」という話ではあるけれど、ある程度それでもなんとかやっていける方の場合は、「どうにかバランスを取ってがんばってる」っていうことだと思うんですよね。苦痛だし、ストレスも溜まる。でも頑張ろう。最低でも来月分の家賃と食費、稼がなきゃなんないし……といった現実的な問題もある。でも、本人の意志が「働きたくない。いや、絶対に働くものか」というくらい強固な場合――その根拠がやっぱりあると思うんですよね。当然親には悪いと思ってるし、一通り言われる説教についても、実際には本人が誰より一番わかってること。でも、(わたしが思うに)こうした方って、「実際に働くよりは首吊り縄を持って山へ行くほうが気が楽」という部分があるのだと思います。

 まあ、普通に考えたら「何言ってんだ。死ぬ勇気があるなら、その勇気を働く力に変えろ」ということになるとは思う。でも、いじめその他のことが原因で不登校になった子どもの中に「学校へ行くことを想像しただけで体が震える」とか、「吐き気がする」、「お腹が痛くなる」という子がいるように――「毎日同じ会社へ行くことを考えただけで、体が震えてくる」という感じの引きこもりの方は多いと思います。でも、家族にそのことは説明できないと思う。もしそのあたりの本音について言えるとしたら、同じ悩みを持つ人の会合みたいな場所か、あるいは心療内科のような場所かなって思います。これを心の病気の一種である……と捉えられる方とそうじゃない方といらっしゃると思うのですが、個人的に思うに、引きこもってる方は「社会不安障害」と診断される場合が多いと思うんですよね。

 他人と関わること、人間関係を築くことに強度の不安があるということで、不安を取り除くための薬(抗不安薬)とか、そうした薬を処方されることも多いと思います。でも、心療内科などに通って薬をもらっている=「そうか。病気ならば仕方ない」と家族の方が納得して支援する感じだといいかもしれないのですが、結構「ただの怠け病じゃないか」、「甘え病じゃないか」みたいに言われる場合もあると思うんですよね。それに、自分的に思うに心療内科に定期的に通って薬を処方してもらうだけでも、(わたし個人の価値観では)結構お金がかかるようにも思います。

 わたしは専門家じゃありませんので、あくまで個人的に思うに、ということなんですけど……治療の鍵は、本人に「働けるようになりたいという意欲があるかどうか」という気がします。つまり、最初は働く気などまるでなく、「親が行けとうるさいから」心療内科へ通うようになったという場合、結構治療費を長くドブに捨てるということもあるかもしれません。その心療内科の先生によっては「引きこもっていて毎日何をしているか」、日記を書くことを進められ、それを提出するということがあると思うのですが、その時に「自分はこんな生活をしていてはいけない」とか、このままの生活を続けたいと思うけれども、こうして日記に書いたことを病院の先生に見られるっていうのは――そこで初めて、家族ではない「他人の目」が入ることでもあると思うんですよね。

 基本、心療内科とか精神科の先生って、そのことを責めたりすることはないと思うのですが、「一週間の日記を自分で振り返ってみてどうですか」とは聞かれるかもしれません。たぶん、そうした時に「何もしてなくて、恥かしいと思います」とか、「自分の好きなことだけしかしてなくて、親にも申し訳ないと思ってます」といった言葉が出るかもしれない。でも、自分にはかくかくしかじかの理由があるんです、先生……その後、先生のほうで事情を理解し、本人が直接口で言えないことを家族に説明してくれたにしても――かといってそれで本人が「働ける」となるでもなく、時間をかけて治療していきましょうとなったにしても、すべての努力がゼロになる瞬間というのがあると思います。

 その~、まず第一に、その心療内科の先生というのが、第一印象にしてからが「あんまし好きじゃなかった」とか、「この人、ほんとにオレの話聞いてんのかな」といった傾聴感の感じられない感じだったりとか、合う・合わないということもありますし、途中までは好感の持てるいい先生だったのに、自分と家族が呼ばれた時に家族のほうの肩を持ったなど、不信感が出てきたりと、本人がもう「あの心療内科へは行かないよ」となっただけでなく、前以上に心を閉ざすようになった――など、ゼロどころかマイナスになる場合さえあります。

 それを治療と呼ぶのが正しいかどうかとも思いますが、引きこもりの治療というのは本当に難しいと思います。でも今、同じ傾向というか、そうした引きこもりの方の数が増大したことで……「同じ悩みを持つ人が話しあえる場所」というのが新しく出来つつある――と聞いて、少しずつ変わりはじめているのではないかと思ったんですよね。

 引きこもってる方を無理に自立させようとすると、結局のところ働けなくて借金を作ってしまう……というのも、ケースとして多いらしく、「同じ悩みを持つ方の話」を聞くって、すごく大切なことだなって思いました。そうしたお互いのケースを共有することで、「うちの息子は少なくとも借金までないだけマシだ」とか、「家庭内暴力を振るわないだけでもマシなんだろうか」、「食事を作ってやっても無視、その他何をしてやっても会話ゼロか。でも、うちはまだテレビのニュースを見て、話くらいはするからな……」など、家の中にあることを外に出して話せるだけでも、変わることが絶対あるような気がします。

 これも、なかなかトンネルの中の暗闇のように、簡単に答えや解決のない問題と思うんですけど、個人的にこれからも引きこもりの方というのは数として増えることはあっても減ることはないと思っています。でも、新型コロナウイルスによってリモートワークという言葉が一般的になるなど、前まではなかった動きが出てきたように――「引きこもっていても働ける」体制作りが重要なんじゃないかなって自分的に思ったりしてます。何故かというと、「引きこもり」の根本にある大きな問題って経済のことだったりするからなんですよね。「ずっと自分の部屋に引きこもってるだなんて不健康だ」とか、「本人のためによくない」とか、よく言われるわけですけど……でも本人がもし、PCを通して月にある程度お金を稼げていたとした場合、実は家族はそんなにうるさくならないと思う、というか。極端な話をすれば、ちょっとありえない話ではあるけれど、引きこもってる方が宝くじて三千万円当選したといったような場合……その後も死ぬまで引きこもって同じ生活を続けていても、誰も文句は言わないでしょうから。むしろ逆に「今まで生活費その他、色々面倒見てやっただろ。せめても百万くらいずつ、両親に小遣いとしてプレゼントしたらどうだ?」なんて、説教(?)の内容だって変わるかもしれない(^^;)。

 それではまた~!!






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