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『「矢沢永吉」公演を出禁になった私設応援団会長 知られざる永ちゃんファンの“掟”』
私設応援団お断りについて――。御年69のロックスター・矢沢永吉のHPに、こんな告知文が掲載されたのは先月のことだった。記されていたのは、応援団の総会長を務めていた〈A氏〉に対し、〈コンサートへの一切の出入り禁止やファンクラブの強制脱会等の措置を取らせていただきました〉というキビシイ対応だった。
永ちゃんといえば、往年のリーゼントや「よろしく」に代表される独特のフレーズと並んで、熱狂的なファンの存在が世間に知られている。白スーツや“E.YAZAWA”のロゴが入ったタオルなど、一目で矢沢ファンとわかる独特のセンスが特徴であり、彼らが発する熱気もまたコンサートの風物詩となっている。
「キャロル」の結成が1972年、75年からはソロで活動しているだけあって、永ちゃん一筋30~40年というファンが多く、今では50代がファンのメイン層だとされる。彼らが青春期を過ごした70~80年代は、いわゆるヤンキー文化が全盛だった時代であり、当時の矢沢のコンサートには、特攻服と改造車がつきものだった。
幾星霜を経て、昔ヤンチャだった少年たちも、今やオジサンである。白スーツでキメた集団が一堂に会していると、おっかない……と感じさせなくもないが、彼らにとって矢沢のコンサートは“同窓会”のようなもの。そこから排除されてしまったA氏は、いったい何をやらかしたのか。
公式HPに記載された先の告知によれば、問題視されたのはアウトロー系の〈某雑誌〉に登場したA氏のインタビュー記事だった。〈某雑誌で紹介されていたA氏の発言と団体の行動は、矢沢永吉の目指す「どなたでも来場しやすいコンサート」への長きに渡る取り組みに対する妨害行為であると判断せざるを得ない内容〉だった、というわけなのだ。
件の記事で語られたのは、80年代から永ちゃんのファンだというA氏の「改造車で会場に赴き、爆竹鳴らして『永ちゃんコール』した」あるいは「特攻服を着て会場入りし、永ちゃんの脚をつかんでコンサートを中断させた」といった“武勇伝”の数々だった。とはいえ、今はマナーを守ってきっちりやっている旨の発言も見られる。矢沢のイメージダウンといえばイメージダウンだが、永ちゃんファンってこんなものでは……? ちなみにA氏の団体の会員は200人ほどだそうだ。
20代から60代までの矢沢ファン18人を取材したノンフィクション『1億2000万人の矢沢永吉論』(双葉社)の著者・浅野暁氏は、こうした取り締まりは「今にはじまったことではない」と語る。
「行き過ぎたファンをアーティスト側が拒否したこの措置は、NGT48・山口真帆の暴行事件の影響もあってか、ワイドショーでも取り上げられる事態になりました。しかし、一般的にはあまり知られていませんが、90年から私設応援団が禁止されていることは、矢沢ファンの間では周知の事実なんです。そのため『A氏の私設応援団がなぜ許されるのか?』という問い合わせが、矢沢サイドに寄せられたのでしょう。今回の通達では、『これを看過することは、矢沢永吉の方針を自ら否定することにもなりかねません』と書かれていますが、私設応援団を一切認めないという方針は、ブレずに一貫しているわけです」
矢沢永吉のコンサートは、飲酒入場の禁止やチケット売買の禁止など、他のアーティスト以上に厳格なルールが設けられているという。
「ほとんどのファンは、なぜこうもルールが厳しくなったのかを理解しているので、みんな普通以上にマナーがいいですし、会場も純粋に音楽を楽しもうという健全な雰囲気です。『同じ永ちゃんファンの仲間だ』という連帯感があり、50代のファンと20代のファンとの交流があったりして、排他的な感じもありません。だけど、世間ではいまだに昔のガラが悪いイメージが残っている。『矢沢永吉論』では、この誤解を解きたいという気持ちもありました。今回の出禁騒動も、何か直接的に問題行為があったというより、“昔の私設応援団を想起させるようなイメージは、もう勘弁してほしい”という矢沢永吉からのメッセージだと思います」(浅野氏)
90年に禁止された私設応援団の問題行為とはどういったものだったのか? 一説によれば、83年頃から全国各地で私設応援団が結成されはじめ、最盛期には少人数の団体から全国に支部を持つ2000~3000人規模の団体まで、40~50もの私設応援団が存在したという。刺繍入りの特攻服をユニフォームとした団体が多く、これがまず“集団の威圧感”として問題視された。
90年の私設応援団禁止に続き、91年に特攻服とチケット私的売買の禁止、00年代中頃には飲酒入場の禁止と「永ちゃんコール」の強要が禁止されたとされる。こうした徹底した浄化作戦には、きっと「どこかで歯止めをかけなければ、どんどんエスカレートする」という懸念があったのだろう。
話を戻せば、私設応援団は見た目こそ暴走族のようだが、基本的には交代制でチケット売り場に並ぶためのファンの集まりだった。しかし、一部に悪質な私設応援団も存在した。インターネットなどなかった時代は、チケット販売の整理券が配布されており、早い番号をまとめて取り、後から来た人に整理券を売りつける団体もあったという。このダフ屋にも近い行為が、“禁止”の発端となった。当時を知る50代の男性ファン氏はこう語る。
「その他にも、暴走族のワルな団体が弱小団体をシメて傘下に入れたり、特攻服を着た団体に囲まれて余ったチケットを買わされたり、いろんな苦情があって私設応援団が禁止になったんです。80年代当時は、ケンカもしょっちゅうでしたよ。酒を飲んで入場できたし、シンナーを吸ってる奴もいたからね。そういう連中が最初から最後までバカ騒ぎをしていて、後ろの客が咎めると、逆ギレしてケンカになるのがいつものパターンでしたね。いろんな騒動を見てきて、ルールが厳しくなるのも仕方ないと思っていました」
当時はロックのコンサートというと、とにかくハメを外すものだという風潮があったのだろう。先の浅野氏の著作には、2000人ほどの会場で観客がイスの上で飛び跳ね、300脚ものイスが破壊されたというエピソードが紹介されている。この他にも暴走したファンの集団が大阪城ホールの噴水を破壊するといった騒ぎがあり、矢沢のコンサートでは会場拒否が相次いだ。
85年の武道館公演では、観客席でケンカ騒ぎが起き、それを見つけた矢沢が自ら演奏を中断して訴えかける場面もあった。このとき矢沢は、〈夢っていうものと、何でもいいからウケればいい、グシャグシャになればいいというのは別だ〉と話したうえで、コンサートが怖くて行けないというファンレターの声を伝え、〈コンサートっていうのは、本当にハッピーなものじゃなきゃ絶対にいけない〉と訴え、騒ぎを鎮めた。
今回の出禁通達にもあった〈コンサートに行きたいけど怖くて行けない〉という声は、矢沢にとって長年の課題といえる。今回の出禁騒動を、先のファン氏はどう見ているのだろう?
「当時、私設応援団をやっていた連中も、今はちゃんとルールを守っていて、永ちゃんが嫌がることをあえてしようとは誰も思ってないですよ。昔の私設応援団は、演奏中に旗を振ったり、“永ちゃんコール”をやっていたけど、A氏の団体は会場の外でやっていたわけだからね。いい年して、旗を振り回して……とも思うけど、人に迷惑をかけているとは思わない。でも、イカツイ恰好をした人が集まって旗を振り回してたら、怖いと思う人がいるのもわかりますよ。だから永ちゃんは、止めさせようとしたわけです。ただ、外で集まるのは個人の自由なんだから、出禁にするほどでもないんじゃないかって……。そう思うと、ちょっと可哀想になりますね」
今回、「出禁」という容赦ない処分が物議をかもすことになったわけだが、A氏を知るある50代のファンによると、珍しいことでもないそうだ。
「出禁というのは、しょっちゅうあることなんです。これまでも、永ちゃんをトイレまで追いかけてサインをねだった追っかけや、非売品をパクったファンが出禁になっていて、だいたい嘆願書を書いて最終的に勘弁してもらうんです。だから、なんで今さらテレビやネットで騒ぎになっているんだろうと思いましたね。出禁になったAさんは、特攻服もカラースーツも着ないですし、演奏中は大人しいくらいです。“永ちゃんコール”にしても、矢沢サイドのSPに“1回だけ”と許してもらったうえで会場の外でやっていたわけだから、出禁にするほどのことでもない。たしかに一般の人が見たら、怖いと思われるかもしれないけど、永ちゃんが好きで応援したいという思いは、みんなピュアなんです」
また、A氏の私設応援団は、昔の私設応援団とはまったく違うものらしい。
「我々がガキの頃は、中学生の不良グループが私設応援団に入らされたり、上納金みたいなものがあったり、たしかにヤクザの勢力争いみたいなことがあった。けど、今は100パーセントないです。昔の私設応援団を見てきた私からすると、Aさんの団体は私設応援団とも言えない気がします。各地域に少人数でやってる団体があるんですが、Aさんが一緒にやろうと声をかけて、武道館のときに外で旗を振ったり、100人の飲み会を開いたりしている程度。いつも組織だって動いているわけでもない。いわば旧車會(※改造バイク愛好家の集まり)みたいなものなんですよね。あえて言うと、アウトロー系の雑誌に堂々と出て、『俺たちが盛り上げてる』といった表現をしたのが、マズかったんじゃないかな」
今回ご登場いただいた2人のファンは、ともにファン歴40年以上。矢沢サイドが過去の私設応援団のイメージを嫌い、厳しい措置を取ったことを理解しつつも、共に「出禁は厳しすぎる」という見解を示す。派手な応援が目立ちすぎただけで、矢沢永吉への熱い思いは自分たちと変わらない――。わかってあげて、永ちゃん!
※週刊新潮WEB取材班引用
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