お気楽ご夫婦日記

ええかげんなダンナと天然のカミサンの心温まる?日々の記録です。

みたらしだんごの2

2008-07-24 | Weblog
太古の森の生き残り。それが糺(ただす)の森で、
かつてここいらへん一帯が山城原野であった頃の植生が今に残るところだということです。

ダンナはもーそれだけで感激してまって、“京の都”以前の京都は実はミヤコでもなんでもない、只のド田舎だったという、よく考えれば当たり前のことなのですが、

こゆ、時の流れ系の諸行無常的なモンに極めて弱いこのダンナ^^;
わかってイタダケルでしょーか?


その太古の森の中を涼やかな小川が流れている。

それがね、
OGAWA=これや!というくらい小川で、全国の小川さんが自分の姓に誇りをもてるほどステキで、
昨今もーどんな地味な河川でも護岸と称して、めったやたら川底から岸辺まで、意地汚いコンクリートで封鎖する偽小川ばっかしになってしまった日本で、ここには
それは見事な小川がその中に存在している。

森の木々は高く高く、葉の茂りが真夏の日光をここちよい揺らぎに変えて、どーだい?今日の調子は、と訪れる人々に語りかけるよーに葉と枝を鳴らしている、

その下を、
あっちへ行っては戻り、こっちを歩いてまた進み
川辺に下りて水を掬い、離れて眺め寄っては返ししながら、ずーっと歩いていました。


森の道の一段落した広場には大鳥居。

しかしその右手にある杜の小道のほうがよっぽどあり難い気がして歩いてゆくと、小川の流れが二つに割れたその処に、小さな可愛い中州があって、それは社のない神様のもともとの土地だと書いてありました。

原初のカミはそのような、なんでもない中州や林や巨木にあって、それが見えるヒトビトがまず崇め奉り、その結果が“社”というカタチを造り、その様式を吟味し祭事を捧げることにより、
継続させること
自らの心の戒めとすること、すなわち

それをもって、人の世を「善」たらしめる事を願い、社会的な翻訳作業に勤めた人たちの技、それが宗教の本質であるなら、信心深さというのは極めて職人的な心根、ということになります。

決してムヤミヤタラニ信じたわけじゃない、始まりはそゆことですきっと。


鳥居を潜っていよいよお参り。

みたらしの社もおまいり。
そこに湧き出す小川の始まりの水と共に上るあぶくが「みたらし団子」の発祥。

次に特別拝観で、神様のお供えもの(神饌)を調理していた大炊殿(神様の台所)を見て帰り道、

行きしなの森が、やけに薄いのに気がつきました。


おんなじように涼やかで颯爽と、でもよくよく見れば、カワの流れの中に石畳が見え隠れ、森のソコには本来あるはずの豊かな下草も賑やかな低木も、ない

すっきりと人間向けにされた瀕死の木々、虚構の森。

もとはもっともっともっと大きな森が、
ミヤコとなった京の戦乱で失われ、近代の開発で失われ、現代の快楽により狭められ、、

いまここにあるソレは、本当の森なのだろうか?森の名残を留めた幽霊なのだろうか?

わからなくなってきました。


社と森は切り離してはいけない。
ぼくらの心が折れるから。

それほど弱々しい生き物なのですワレワレ人間というのは。


森の薄さは、あとから思い返してみて、のハナシですが、また植物や森の知識など全くない素人の的外れの批判なのか、杞憂なのか

いや、
杞憂であればそれに越したことはない訳で、その方が寧ろ嬉しく喜ばしいことなのでありますが、、、

お賽銭さえケチるこのフーフが、森の再生のために置かれた募金箱に、ヒラリと一枚紙幣を預けて、せめてもこの時間の、お礼の挨拶を置いて帰ってきたのでありました。