お気楽ご夫婦日記

ええかげんなダンナと天然のカミサンの心温まる?日々の記録です。

京都度々

2008-07-11 | Weblog
小さな記念広場は京の町を見下ろす高台。
そこにインクラインのかつての始まりがあるのですが、いまだに水は満々とある。

琵琶湖からやってきた水の流れは、ソノ場所で一旦向きを変えて先ほどの発電所方向に進むのですが、

ソノ場所は小腸から大腸に向かう消化管のなかの盲腸にあたる要素を持っております。

なんやよーわからんでしょうが^^;それが蹴上船溜であります。

ここの構造はそれはもぅ筆舌に尽くしがたい風雅の極みてなもんで、水際の危うさがハンパない。

船溜に押し寄せる水の固まりは、インクラインの最上部に向かって緩やかにこそげ落ちそこからは、半分水につかった巨大な台車が船底を引き受け、一瞬小高い峰を越えたせつな、今度は一転、奈落の底まで、逆落とし真一文字にすべりこむ。

その様相は今はもうないのですが、このエリアは、その一連の仕業をわずか十数メートルのこの静かな区間の風景だけで切り取り、今に貼り付けているような気がしました。

清少納言が男の子で、疎水開通の時代に生まれていたら、どのようなモノハヅクシを充てるだろう、

心ときめくもの?、見飽きぬもの?、勇壮なるもの?

事実当時の京の人々はこの前代未聞の壮大な仕掛けを一目見ようと、この蹴上の地に押し寄せたそうでありますが、

その孫の世代のダンナのほうがキット、このときの押し寄せ度は上を行っていたかもしれん。


高揚の後は静寂が訪れます。

インクラインを今度は二人、さびた線路と朽ちかけた枕木を踏んで下りてゆく。
もう舟を積んだ巨大な台車を、後方に気にする必要もない道行きです。


終点の南禅寺船溜は、疎水の記念館と公園になっていて、その歴史の記録が山盛り詰まった館内を見て歩き、噴水に感嘆し、

結局その後、平安神宮の付近にも足を伸ばしたのですが、ここいらはもぅ赤いでっかい鳥居が興ざめなばかりで、途中によったコンビニで傘を忘れて引き返し、おかげで足が棒になって帰ってきますた。


しばらく疎水はもういいや、疲れた。
あまりに感激すると、なんかその後一瞬空っぽになるんだよなー。

京都はちょっと間をおこうと、それでも、空前絶後と言ってもいいくらいの一日

やっぱりじきにマタ来そうだなと思い直し、帰路に着くダンナでありますた。

京都へ三度

2008-07-11 | Weblog
この前の哲学の道の時分は、新緑が跳ねくり回っていた京都。

それがこのころは、もうすっかり大人になった木々の緑は落ち着きと深みを増して、盆地のソコを吹き渡る熱風にしっかり応えるように、ざわざわと力強くゆらいでいる。

しかし南禅寺のその場所だけは、澱みをともなった別の濃度が感ぜられました。

圧倒するような歴史のマボロシが、レンガの建造物を受け皿に、とよとよと、押し流れてきているのですからそれは当然のこと、
水路閣上隙間のないミズの塊は、明らかに平成ではなくメイジから流れてきているのであります。

当日の写真がないのが残念ですが、現代の風景写真からむかしを、ボクラはしっかり見て取れる。そして未来に対して責任ある行動をとらねばという感情を沸き立たせることが出来る。これが“KYOTO”の価値です。

その“KYOTO”は実は、“KURASHIKI”や“ASUKA”や“MATUE”に出向かずとも、ワレワレのごく近くにもあってネ
イヤ今ここが“ISE”だからという事じゃなくて、

芽吹く若葉から夏の青葉、川原の葦の葉影に沈む底石の苔のぬめり、
はためく洗濯物ごしに輝くお天道様が、山の端に降れる間際の赤の揺らめき、
里山のあぜ道に轍の後を浮かせる名もない草々から、連なる深山の暗闇へ向かう光のフェードアウト、

それらをすくい上げて感じる愛でる、その気持ちの中にこそ未来につながるムカシがある。

液晶の大画面から放出されるステレオタイプのバラエティに、限られた人生の時間を浪費するほど、ヒトは未発達な生命ではないと信じたいものであります。

画を捨て、陽光のなかを歩こう
歩けば見えるものがきっとある、

みたいな。

で、なんの話でしたっけ?
そーだ水路閣だ^^;


しばらくソノまわりを、あっちにフラフラこっちにウロウロして、最後にソノ上に登ってみる。

水路は思いのほか狭い。
下の建造物と釣り合いが取れんなーと思うほどに。

でも水の流れは太くて速い。
間違いなく子供はその勢いに吸い込まれてウキウキはしゃぐ筈です。

なので二人の子供^^;はソノ流れを辿って上流のほうにひたすら歩ってゆく。
ナンゼンジはこのよーにしてあっと言う間に終了。

テクテクテクテクと進んでいくとやがて蹴上の発電所のあたりに出ました。

おおっ!やはり続いていたか、とダンナ感激。

この周辺もなにもない、スポーンと開けてわけのわからん施設の柵や水路やパイプが無造作にごっそり、そのエリアの高低に固まって放り出されていますた。

このアザトサのないぶっきら棒な広がり感がたまらん((o(> <)o))☆\(--;)このどヘンタイが!


その先の広場には疎水の父、田辺朔郎氏の銅像がすっくと立ち、そこがインクラインの始まりでした。