「生まれた」からには「生きる」3

2008-07-22 23:33:59 | こんなンで委員会
当時発行された「週刊新潮」において、花田氏が寄稿された以下のような記事があった。

<昔から、身障者の安楽死事件では、いつも決まって殺した側に強い同情が集まり、裁判の結果は微罪として処理されています。

これを皆が当然のこととして受け取っている。もしもそれが正しいとすれば、心身に何らかの障害のある者を殺してしまうのは、たいした罪ではないということになる。

健康な人を殺害したら、絶対にこんな同情や判決はありえないのに・・。殺して罪になる命と、そうでない命があるというのだろうか。ー(中略)ー

同じ身障者の立場からすると、仲間が安楽死させられて、それを許してしまう世論があることを見せられたら、果たして生きている自分を喜べますか?

私たちにすれば、絶望の淵に落とされたような気持ちになってしまいます。これを許すような風潮は、お寒い福祉行政を暗に認めている、世間の気休めでしかないのではないですか>と、あくまでも舌鋒は鋭い。


安楽死問題の扱い方や、優生保護法の改定などの動きを見ていると、確かに役に立たない者は除外されても致し方がない、との”安易な空気”が社会に満ちてしまうのではないだろうか、と不安を抱く。

ギリギリに追い詰められて、他に解決の道がないという場合があるとしても、拡大解釈は断じてくい止めなければならないだろう。現実にある情状酌量の「しょうがない」との空気に、厳しい姿勢で立ち向かい、声を限りに訴える花田氏の心配も、事実そこにあった。そして、しきりに悔しがっておられた。


これは訊いて帰らなくてはいけない、と今回自分が決めていた一言を、ぶつけてみた。

酷な質問かとは思ったが。。。「生まれてきて良かったと思いますか?」と。

春兆さんは、澄んだ眼でまっすぐ私を見て、即座に「ハイ!」と答えてくださったのだった。

もの心つくようになって以来、多くの奇異の目を感じ、それを背負い続けてきた人である。幼心を、どれほど痛めつけられてきたか知れない、世間の目というものに。

氏は『婦人公論』に寄せた手記の中で、このようにも語っていた。

<一般に理解されつつある現在と違って、医者さえ”小児マヒ”という名を珍しがるような、そうした人々の大部分が、じっと家の奥深くに隠されているような昔、路上を行けば必ず、蔑みを交えた奇異の視線にぶつからなければならなかったのです。

子供たちは顔をしかめ、手足を曲げて身まね手まねしながら、ガヤガヤはやしたててゾロゾロ付いてきた。

大人たちも、何度も振り返って見たり、連れとまことに軽蔑した言葉をささやき交わしたりする。中には、自転車で振り向きつつ行き過ぎては、また引き返してきてわざとすぐ側をすり抜けてゆくという、ご丁寧な人もあった>と。

そういう人たちに対して、花田氏はあまり怒ってはいない。まぁ、無視されるよりはいいのかな?その人の身になってみると仕方のないことなのでしょう、と苦く笑われた。

しかし、絶望の時は確かにある、と仰られたのだ。明晰すぎる頭脳と鋭い感性、反して思い通りにならない身体。長年、悩みに悩んできたそうだ。

その度に思うことは<苦しむ方がいいんだ!僕はこの苦しみをこそ活用しなくてはいけないんだ!>と。



 
ナデシコに似た花



氏と俳句との出会いは、日本初の肢体不自由児の学校、光明学校へ通っていた頃に遡る。4年生の時に、宮沢先生という方が俳句の手ほどきをしてくださり、「春兆」という名前も宮沢先生が付けてくださったそうである。

17歳の頃より、松野自得氏について俳句の修行を積み、昭和29年に中村草田男主宰『万緑』の同人となった。

昭和32年、早くも第一回『万緑』新人賞を受け、続けて「俳人協会全国賞」「万緑賞」。その後の俳歴は、数知れぬほどに輝かしいものがあった。代表句に


  天職欲し一心にすゝむ目高の列   春兆


しかし、四百字詰め原稿用紙一枚を埋めるのに、一時間以上がかかる。なので、書き直しなどはできない相談なのだ。健常者の何倍もの時間と労力を使って、長年地道な仕事を続けられている。

今後も「俳人」として仕事をしてゆくのだが、俳句に収まらない俳句、自然描写に限らず人間臭いもの。再軍備・四次防など、社会にも題材を求めて俳句を作って行きたい、と強く語られた。正岡子規のように、評論などの手段を通して「身障者」の訴えを続けていくつもりである、と。

最後に、最近の秀作だといって、一句を示された。戦争がいつ起るか知れないような殺伐たる時代に、ふと不安を覚えての作だという。

夜中に、木々を揺らす激しい風の音を耳にし、それがあたかも松籟の奥にうごめく、たくさんの兵馬の声にも聞こえたのだそうだ。


  東風つのるな松籟にふと兵馬の声   春兆



人間味あふれる俳人、花田春兆。永く光り輝く身障者の星であることを祈りつつ、記者はここにペンを置く。



* 1970年代前半の記事によるため、現在では使われていない語句や用い方、医学用語・知識等に時代的ズレや不備があると思われますが、当時の認識により書かれていますので、なにとぞご了承ください。

* 花田春兆氏と俳人・富田木歩の関連記事  



 
ナデシコではないかも^^



お話を聞き終わった時に、ツイとそばにあった紙をとり、マジックで一心に俳句を書いてくださった。その30数年前の紙を発掘↓(笑)見つかってブラボーー!次回は、続きでおまけの”ヘナヘナ編集後記”にお付き合いくださいますよう、どうぞよろしくお願いいたします


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6 コメント

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トーコさんの (のっち)
2008-07-23 12:04:13
人生には、宝物が沢山埋まっていますね。
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生きるとは? (山小屋)
2008-07-23 13:14:20
ただ単に生きているだけではダメだと思います。
何か目的を持っていると、生きていて楽しくなります。
目的がなくなったら、毎日がつまらないでしょうね。

花はナデシコの園芸種でしょうか?
園芸種は種類が多くてよく分かりません。
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のっちさんへ (トーコ)
2008-07-23 14:30:40
のっちさん、こんにちは~

お暑い中、ありがとうございます。

そうです、か?今頃、掘り起こしています、埃にまみれながら・・(笑)

最後の「ここにペンを置く」などという言い方は、すでにして忘れていました、が。”死語”なのですが、当時はこんなキザな使い方をするのが流行していたような気がします。いにしえの記録として、載せました。アハハ

コメント☆、いつもありがとうございます
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山小屋さんへ (トーコ)
2008-07-23 14:38:38
山小屋さん、こんにちは~

そうですね。目的と自信、これを見失うと、とたんに弱ってきますもの

”ナデシコ”としておいても、害は無いようでしょうか。園芸種はバリェーションが多くて、ハラハラしてしまいます^^

そういえば、私はなんだかんだ言ってますが、タイツリソウは時機を逸して、結局UPはしなかった花です。いつも教えていただいて、ありがとうございます。コメント☆も、感謝です
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素晴らしい記事 (ひよどり)
2008-07-23 16:51:47
春兆氏との記事、とても重く受け止めながら読ませていただきました。
私は浅学にして、春兆氏について初めて知りました。
「生まれてきて、良かったと思いますか?」の問いに、即座に「ハイ!」と答えたという「質問と答え」との緊張した闘いに、私は心からなる讃辞を惜しまない。
よほどの覚悟がなければ、このような問いかけはできるはずがない。
その覚悟を感じたからこその答えだったのでしょう。
私は「いのち」について、まだよく分かりません。
分かっているつもりでいても、折々の事象ではぐらつきます。
「なぜ人を殺してはいけないのですか」との中学生の質問にも、私はきっとたじろぐでしょう。
ただ、「私は、私のいのちを愛しく思う」と言いたいし、「妻や子や孫のいのちもこの上なくいとおしい」とも言いたい。
この世に、愛しいと思われない「いのち」があってはいけないとも思う。
しかし、「何かの覚悟」がまだできていないから、「いのち」について語れないのではないかと、歯がゆく思っております。
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ひよどりさんへ (トーコ)
2008-07-23 22:45:26
ひよどりさん、こんばんは~

そうです。小娘の”決死の覚悟”でした。

春兆さんが、よく真摯に答えてくださったなぁと、今更ながら背筋を寒くしております。

子どもが「ナゼ人を殺してはいけないのですか?」と訊いて来たら、私は養老孟司流に答えておこうと思います。

・・その人と同じ人を、もう二度と作ることができないから。クローンの技術を持ってしても、全く同じ人ではありえませんものね。

要するに言い尽くされている、かけがえがない、取替えがきかないたった一つの命、ということなのですが。。。

ひよどりさんの博識には、いつも舌を巻き、勉強させていただいております。コメントをありがとうございました
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