“俺の傍から離れるな”
その言葉が三津の頭の中でこだまする。
男に言われたら嬉しくなる事間違いなしの殺し文句なのだが,
『何でやろ,ちっとも嬉しくない…。』
滅多に言われる事がない台詞だから,例え気のない相手だろうが少しは胸が高鳴ってもいいはず。
何せこの土方に言われたのだから。
とりあえず何だか大変な事になりつつあるのは分かった。
言い渡された三津本人より腑に落ちない顔の総司がいて,あまり喋らないけれど副長の山南も立ち合ってる。
『仕事がちょっと増えるだけかな…。』
面倒な事にならなきゃいいかと気楽に考えていた。
「たえには俺から話をしておく。荷物と布団は自分で運べよ。」
「へ?どういう事ですか?荷物運ぶって何処に?」
手が空いた時に土方の手伝いをするだけじゃないのか?
三津は顔をひきつらせた。
「俺の小姓になるんだ,俺の部屋に決まってんだろ。それぐらい考えたら分かるだろうが。
てめぇの頭はすっからかんか?」
三津の頭を鷲掴みにしてぐらぐらと大きく揺らした。
「え!?それって寝るのも一緒!?絶対嫌や!」
あの小さな部屋を結構気に入ってるんだ。
唯一羽を伸ばせる場所なのに。
『土方さんの部屋に移るってことは一人の時間がなくなるんやんね?』
三津の顔はみるみる青ざめた。
それは勘弁してくれと逃げ出そうとしたが,
「まぁ仲良くやろうや。」
土方の手が素早く三津に伸びて顎を持ち上げ,ぐっと顔を寄せた。
人を恐怖に陥れる笑顔があっていいものか。
三津は土方の微笑に震え上がった。
「分かったなら荷物まとめて来い。今すぐに。」
土方に逆らってはいけない。
三津の本能がそう告げた。
勢い良く頷いて一人部屋を飛び出した。
三津の足音が遠ざかって行くのを聞いて総司が溜め息をついた。
「何でまた小姓なんか…。」
芹沢から遠ざける為だとは思うけど納得は出来ない。
腹立たしくも羨ましいような複雑な気分でいた。
「あいつにゃ緊張感も危機感も足りねぇから俺が鍛え直してやるんだよ。」
『別に小姓にしなくても指導は出来るのに。』
総司は何かおかしいと土方と山南を交互に見る。
「…芹沢さんに近づかせない云々ではなく他に理由でもあるんですか?」
土方が三津を傍に置く理由が他にある。
総司はそう思った。「総司,お前は俺の話のどこを聞いてやがった。あいつの根性鍛え直してやるんだよ。」
ただそれだけだと何食わぬ顔で告げるが,総司には通用せず。
「私には言えない理由なんですか。」
動じないつもりだった土方だが,総司の勘の鋭さに思わず溜め息をついた。
芹沢の件は極秘で近藤と山南,土方しかまだ知らない。
「…日を見て話はする。それまで事情は聞いてくれるな。他言も無用だ。」
それだけを言い残して部屋を出て行った。
取り残された総司はへなりと畳に両手をついてうなだれた。
『私にも言えないなんて,まさか土方さんは三津さんの事を…。』
考えたくもなかったが土方の三津への扱いは今までの女中とは全然違う。
それはつまり土方が三津に対して“特別”な想いを持っている。
『だから傍に置きたいんだ…。
三津さんとは私の方が先に知り合っていたし,ここの誰よりも仲が良いと思ってたのに。
それも私の単なる自惚れだったのか…。』
総司の落ち込みぶりに山南は戸惑いながらも声をかけた。
「こればっかりはどうしようもないんだ…。」
「そうですね…。どう足掻いたってもう曲げられないんですね。」
土方の気持ちは曲げられない。
小姓にしてまで目の届く所に居て欲しいんだろう。
『みっともない…。私は不犯を誓ってるのだからとやかく言える立場にないじゃないか。』
「あぁ…くれぐれも内密に。」
「言える訳ありませんよ!」
土方が三津に想いを寄せて小姓にしてまで傍に置いたなんて誰かに言えるもんか。
総司は怒鳴りつけると勢いそのままに部屋の戸を激しく閉めて出て行った。